おしん
アイヤーヴァリ
アウトソーシング
アウラングゼーブ
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アクロティリおよびデケリア
アジア
アジア開発銀行
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アゼルバイジャン
アタル・ビハーリー・ヴァージペーイー
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アッサム語
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アフガニスタン
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アフリカ
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アヘン
アムリットサル事件
アメリカ合衆国
アメリカ同時多発テロ
アメリカ航空宇宙局
アラビア海
アラブ首長国連邦
アルナーチャル・プラデーシュ州
アルメニア
アルメニア人
アンダマン・ニコバル諸島
アンティグア・バーブーダ
アンベードカル
アーグラ
アーリア人
アーンドラ・プラデーシュ州
イエメン
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イギリス国王
イギリス帝国
イギリス東インド会社
イギリス連邦
イギリス領インド帝国
イスラエル
イスラム
イスラム教
イタリア
イラク
イラン
インターネット
インダス川
インダス文明
インディアン・プレミアリーグ
インディアン航空
インディゴ
インディラ・ガンディー国際空港
インド
インドの世界遺産
インドの仏教
インドの公用語の一覧
インドの国旗
インドの国章
インドの国語の一覧
インドの地方行政区画
インドの地理
インドの大統領
インドの宗教
インドの政党
インドの教育
インドの数学
インドの映画
インドの歴代首相
インドの歴史
インドの空港の一覧
インドの経済
インドの総督
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インドの言語
インドの言語の話者数一覧
インドの財閥
インドの都市の一覧
インドの都市圏人口の順位
インドの鉄道
インドグランプリ
インドネシア
インド・ヨーロッパ語族
インド・ルピー
インドール (インド)
インド亜大陸
インド人の名前
インド人民党
インド哲学
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インド国民会議
インド国民軍
インド大反乱
インド文化圏
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「インド」のその他の用法については「インド (曖昧さ回避)」をご覧ください。
この項目にはインド系文字があります。環境によっては、フォントをインストールしていても、母音記号の位置が乱れたり結合文字が分かれたりします(詳細)。
インド共和国
भारत गणराज्य (ヒンディー語)
Republic of India (英語)
(国旗)
(国章)
国の標語: सत्यमेव जयते
ラテン文字転写: "satyam eva jayate"
(サンスクリット語: まさに真理は自ずと勝利する)
国歌: ジャナ・ガナ・マナ
公用語
ヒンディー語(連邦公用語)
英語(連邦準公用語)
その他複数の各州公用語
首都
ニューデリー(デリー)[1]
最大の都市
ムンバイ
政府
大統領
プラティバー・パーティル
首相
マンモハン・シン
面積
総計
3,287,590km²(7位)
水面積率
9.6%
人口
総計(2008年)
1,198,003,000人(2位)
人口密度
364人/km²
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年)
52兆6,659億[2]ルピー
GDP(MER)
合計(2008年)
1兆2,096億[2]ドル(11位)
GDP(PPP)
合計(2008年)
3兆2,883億[2]ドル(4位)
1人あたり
2,762[2]ドル
独立
- 日付
イギリスより
1947年8月15日
通貨
ルピー(INR)
時間帯
UTC (+5:30)(DST: なし)
ISO 3166-1
IN / IND
ccTLD
.in
国際電話番号
91
インド共和国(インドきょうわこく、ヒンディー語: भारत गणराज्य、英語: Republic of India)、またはインド(India)は、南アジアに位置し、インド亜大陸を占める連邦共和国で、イギリス連邦加盟国である。パキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマーとは陸上で、スリランカ、モルディブ、インドネシアとは海上で国境を接する。
目次
1 概要
2 名称
3 歴史
3.1 ヴェーダ時代からラージプート時代まで
3.2 北インドのイスラム化と南インドのヒンドゥー王朝
3.3 ムガル帝国
3.4 イギリス統治時代
3.5 独立
3.6 現代
4 地理
5 政治
6 外交
6.1 他国との関係
6.2 領土紛争
6.3 日本との関係
7 軍事
8 地方行政区分
8.1 主要都市
9 経済
9.1 通貨
9.2 第一次産業
9.2.1 主な農産物
9.3 第二次産業
9.3.1 自動車産業
9.3.2 バイオテクノロジー
9.3.3 主な産業
9.4 第三次産業
9.4.1 情報サービス業
9.4.2 小売業
9.4.3 ハイテク関連
9.5 イギリスとの関係
9.6 アメリカ合衆国との関係
9.7 オーストラリアとの関係
9.8 中華人民共和国との比較
9.9 医療ビジネス
9.10 課題
9.10.1 インフラ
9.10.2 土地問題
10 交通
10.1 道路
10.2 鉄道
10.3 航空
11 人口
12 国民
12.1 人種
12.2 印僑
12.3 言語
12.3.1 公用語
12.4 宗教
12.4.1 ヒンドゥー教
12.4.2 キリスト教トマス派
12.4.3 仏教
13 文化
13.1 思想
13.2 教育
13.3 映画・音楽
13.4 世界遺産
13.5 祝日
13.6 スポーツ
14 脚注
15 関連項目
16 外部リンク
編集 概要
インド最大の都市ムンバイ。世界屈指のメガシティである。
南アジア随一の面積と世界第2位の人口を持つ大国である。10億人を超える国民は、多様な民族、言語、宗教によって構成されている。州境を越えるとまったく違う言語が話され、それぞれの文化芸術があるため欧米ではよく「インドは国と言うより大陸である」と表現される。中央政府とは別に各州に政府があり大臣がいる。主な言語だけで15を超えるためインド政府が発行する紙幣には17の言語が印刷されている。ヒンドゥー教徒が最も多く、ヒンドゥー教にまつわる身分制度であるカースト制度の影響は今でも残っており、複雑な身分制社会を形成している。貧困に苦しむ人が多い国であるとされるが[3][4]、近年の経済発展のおかげで低所得者層の生活も改善されつつあるとする見方もある[5]。 1947年のイギリスの植民地からの独立の際、それまでのインドは、インドとパキスタンに分裂した。その後、パキスタンの飛び地となっていた「東パキスタン」が1971年にバングラデシュとして独立している。
編集 名称
正式名称はヒンディー語の भारत(ヘルプ・ファイル) (ラテン文字転写: Bhārat, バーラト) であり、英語による国名は India (インディア)である。政体名を付け加えたヒンディー語の भारत गणराज्य (ラテン文字転写: Bhārat Gaṇarājya) 、英語の Republic of India を正式名称とする資料もあるが、憲法その他の法的根拠に基づくものではない。日本語による表記は、インド/印度。これもまた政体名を付加してインド共和国とされることもある。また近代以前の中国や日本からの呼び名として天竺という表記もある。
歴史的に哲学が盛んな国であり、多くの優れた哲学者を生んだ。そのため聖賢の国とも呼ばれている。
編集 歴史
詳細は「インドの歴史」、「南アジア史」をそれぞれ参照
編集 ヴェーダ時代からラージプート時代まで
紀元前2600年頃から前1800年頃までの間にインダス川流域にインダス文明が栄えた。前1500年頃にアーリア人がパンジャーブ地方に移住。後にガンジス川流域の先住民を支配して定住生活に入った。アーリア人は、司祭階級(バラモン)を頂点とした身分制度社会(カースト制度)に基づく社会を形成し、それが今日に至るまでのインド社会を規定している。
前4世紀、パータリプトラ(華氏城、現在のパトナ)を都とする最初の統一国家であるマウリヤ朝マガダ国が成立し、2世紀頃には、デカン高原にサータヴァーハナ朝がローマ帝国との海上交易で繁栄。5世紀は、グプタ朝が北インドを統一し、サンスクリット文学がさかんになる一方、アジャンター石窟などの優れた仏教美術が生み出された。これらの古代王朝の後、7世紀からはラージプートの諸王朝が分立。エローラ石窟群やカジュラーホーなどが建設された。
編集 北インドのイスラム化と南インドのヒンドゥー王朝
11世紀初めより、ガズナ朝、ゴール朝などのイスラムの諸王朝が北インドを支配するようになった。13世紀よりデリーに都を置くデリー・スルタン朝が北インドを支配し、14世紀初頭には、デカン遠征を行い、一時は全インドを統一するほどの勢いを誇った。一方、南インドでは、10世紀後半ころからタミル系のチョーラ朝が貿易で繁栄し、11世紀には東南アジアのシュリーヴィジャヤ王国まで遠征を敢行した。その後、14世紀後半から16世紀初頭にかけてヴィジャヤナガル王国が栄えた。1498年にヴァスコ・ダ・ガマがカリカットへ来訪したことを契機に、ポルトガル海上帝国も沿岸部に拠点を築いた。
編集 ムガル帝国
16世紀、ティムール帝国の末裔であったバーブルが北インドへ南下し、デリー・スルタン朝を倒して1526年ムガル帝国を立てた。ムガルはモンゴルを意味する。ムガル帝国は、インドにおける最後にして最大のイスラム帝国であった。3代皇帝のアクバルは、インドの諸地方の統合と諸民族・諸宗教との融和を図るとともに統治機構の整備に努めた。しかし、6代皇帝のアウラングゼーブは、従来の宗教的寛容策を改めて厳格なイスラム教スンナ派に基づく統治を行ったために各地で反乱が勃発、帝国は衰退にむかった。
ムガル帝国の没落に伴い、イギリスがインドに台頭してきた。ベンガル地方の徴税権を獲得したことを皮切りにイギリス東インド会社主導の植民地化が進行した。19世紀前半にはイギリスの対インド貿易は自由化され、イギリスから機械製綿織物がインドへ流入。インドの伝統的な綿織物産業は破壊された。さらに、近代的な地税制度を導入したことも、インドの民衆を困窮させた。ムガル帝国の滅亡(1858年)の後、1877年にはイギリス領インド帝国が成立した。
編集 イギリス統治時代
イギリスはインド統治に際して分割統治の手法をとった。インド人知識人層を懐柔するため、1885年には諮問機関としてインド国民会議を設けた。しかし、民族資本家の形成に伴い反英強硬派が台頭したこと、ベンガル分割令への憤りなどから反英機運が一層強まった。こうした中、イギリスは独立運動の宗教的分断を図り、親英的組織として全インド・ムスリム連盟を発足させた。
第一次世界大戦で、自治の約束を信じてイギリスに戦争協力したにもかかわらず裏切られたことや、日露戦争における日本の勝利(非白人国家による白人国家に対する勝利)などの影響を受けて民族自決の理念が高まったことに影響され、インドではさらに民族運動が高揚した。
マハトマ・ガンディーの登場は、いままで知識人主導であったインドの民族運動を、幅広く大衆運動にまで深化させた。ガンディーが主導した非暴力独立運動は、イギリスのインド支配を今まで以上に動揺させた。第二次世界大戦では国民会議派から決裂したチャンドラ・ボースが日本の援助でインド国民軍を結成し、独立をめざす動きも存在した。
編集 独立
インド初代首相ジャワハルラール・ネルー(左)と、インド独立の父マハトマ・ガンディー(右)
戦後、インド内のヒンドゥー教徒とイスラム教徒の争いは収拾されず、1947年8月15日、イスラム教国家のパキスタンとの分離独立となった。前日には、インドを東西から挟むパキスタンが誕生していた。
1948年1月30日、マハトマ・ガンディーは、ムスリムに対するガンディーの「妥協的」な言動に敵意を抱いていたN.ゴードセーによって射殺された。
初代首相(外相兼任)にはジャワハルラール・ネルーが、副首相兼内相にはサルダール・V.J.パーテルが就任し、この新内閣が行政権を行使した。また、1946年12月から1950年まで憲法制定議会が立法権を行使し、それは憲法の施行後、総選挙で成立したインド連邦議会に継承された。司法権は新設置のインド最高裁判所に移行した。さらに憲法制定議会議長のR.プラサードが大統領に、憲法起草委員長のB.R.アンベードカルが法務大臣に就任した。こうして憲法施行とともに政治の大権は国民の側に移された。
独立当初はイギリス国王を君主に戴く英連邦王国(インド連邦)であり、1950年に共和制に移行した。政教分離の世俗主義という柱で国の統一を図った。
インド憲法に書かれた正式国名は「Indian Sovereign Socialist Secular Democratic Republic」であり社会主義共和国を標榜している。独立後は他の社会主義国ほど義務教育の完全普及や身分差別廃止の徹底はうまくいかず、近年においても小学校さえ行けない子も多く貧富の差も激しいが、不可触賎民出身の大統領(コチェリル・ラーマン・ナラヤナン)や大臣(アンベードカル)も出るなど特例も出てきている。
東西冷戦時代は、非同盟運動に重要な役割を果した国であった。長期にわたって国民会議派が政権を担った。パキスタンとの対立はその後も続き、カシミール問題と東パキスタンを原因として、3度の印パ戦争が勃発した。両国の対立は現在も続いている。
編集 現代
1990年代よりインド人民党が勢力を伸ばしアタル・ビハーリー・ヴァージペーイー政権が誕生した。ルック・イースト政策を掲げてアジア諸国との関係も重視。中立非同盟とはいえ、アメリカ、イギリスとも友好な関係をとっている。一方で、中国、パキスタンとは、緊張関係にある。近年はITサービス業を中心に経済成長を続け、ロシア、ブラジル、中国とともにBRICsの一角として注目を集める存在となり、IT分野においてはその技術力が欠かせない存在となっている。
2010年8月、インド北部ジャム・カシミール州で洪水が起きた。州東部のレー町の当局者は、死者が165人に達したと発表した。一方、軍当局者は9日洪水の行方不明者は外国人も含めて500人に達したと発表した。
編集 地理
インドの地形図
詳細は「インドの地理」を参照
インドの陸地はほとんどがインド洋に突き出した南アジアの半島上にあり、南西をアラビア海に、南東をベンガル湾に区切られて7000kmの海岸線をもつ。多くの地域では雨期が存在し、三つの季節、夏、雨期、冬に分けられ、雨期を除いてほとんど雨の降らない地域も多い。北インド・中央インドはほぼ全域に肥沃なヒンドスタン平野がひろがり、南インドのほぼ全域はデカン高原が占める。国土の西部には岩と砂のタール砂漠があり、東部と北東部の国境地帯は峻険なヒマラヤ山脈が占める。インドが主張するインド最高点はパキスタンと係争中のカシミール地方にあるK2峰(標高8,611m)である。確定した領土の最高点はカンチェンジュンガ峰(同8,598m)である。気候は南端の赤道地帯からヒマラヤの高山地帯まで多様性に富む。
編集 政治
ノース・ブロック政府合同庁舎
「インドの歴代首相」および「インドの政党」も参照
国家元首は大統領。実権は無く、内閣の助言に従い国務を行う。議会の上下両院と州議会議員で構成される選挙会によって選出される。任期5年。
副大統領は議会で選出される。大統領が任期満了、死亡、解職で欠ける場合は、副大統領の地位のままその職務を行う。任期は大統領と同じ5年だが、就任時期をずらすことで地位の空白が生ずることを防止する。また、副大統領は上院の議長を兼任する。
行政府の長は首相で、下院議員の総選挙後に大統領が任命する。 内閣は下院議員の過半数を獲得した政党が組閣を行う。閣僚は首相の指名に基づき大統領が任命する。内閣は下院に対して連帯して責任を負う(議院内閣制)。また、連邦議会の議事運営、重要問題の審議・立法化と国家予算の審議・決定を行う。
議会は、両院制で、州代表の上院(ラージヤ・サバー)と、国民代表の下院(ローク・サバー)とで構成される。
上院250議席のうち12議席を大統領が有識者の中から指名する。任期は6年で、2年ごとに3分の1ずつ改選。 下院は、545議席で、543議席を18歳以上の国民による小選挙区制選挙で選出し、2議席を大統領がアングロ・インディアン(イギリス系インド人:植民地時代にイギリス人とインド人との間に生まれた混血のインド人、もしくはその子孫の人々)から指名する。任期は5年だが、任期途中で解散される場合がある。有権者の人口が多いため、選挙の投票は、5回にわけて行われる。 選挙は小選挙区制で、投票は用紙に印刷された政党マークに印を付ける方式であり、今日まで行われている。
憲法施行後、1951年10月から翌年2月にかけて連邦と州の両議会議員の第一回総選挙が行われた。結果は会議派が勝利し、首相にネルーが就任した。
2004年の下院選挙は、4月20日に第1回の投票が行われ、5月13日に開票された。
インドの政治を軍事の面から見てみると、インドの軍事制度は非常に安定している。特に、シビリアン・コントロールがアジアでも有数と言えるほどに徹底されている。
インド下院(定数545)の議員を選ぶ総選挙が2009年4月16日にはじまり、5月13日まで5回に分けて実施された。有権者は約7億1400万人。選挙結果は5月16日に一斉開票され、国民会議派は206議席を獲得、連立による過半数獲得を模索している。インド人民党 (BJP) は116議席を獲得した。
編集 外交
独立後、重要な国際会議がインドで開かれ、国際的な条約や協約が締結されている。
1947年3月、デリーでアジア問題会議が開催され、新生のアジア諸国が直面視する諸問題が討議された。
1949年2月、デリーでアジア19カ国会議が開催され、オランダのインドネシア再植民地化が、批判すべき緊急の政治課題として討議された。
1949年11月、コルカタでインド平和擁護大会が開催された。
1949年12月、ビルマ(ミャンマー)に続いて中華人民共和国を承認した。
1950年10月、北インドのラクナウーで太平洋問題調査会の第11回国際大会が開催された。ネルーが「アジアの理解のために」と題して基調演説を行った。
1954年4月、北京で中印双方は「中印両国の中国チベット地方とインドとの間の通商と交通に関する協定」に調印し、そこで平和五原則(パンチャ・シーラ)を確定した。それは領土・主権の尊重、相互不可侵、内政不干渉、平等互恵、平和的共存からなっていた。
1955年4月、バンドン(インドネシア)でアジア・アフリカ会議が開催された。14億の諸民族を代表する29カ国の指導者が参加した。平和五原則に基づく諸原則を承認した。スカルノ、周恩来、ネルー、ナセルなどが参加していた。
1961年9月、ベオグラード(ユーゴスラビア)で第1回非同盟諸国首脳会議が開催された。チトー、ナセル、ネルーなどがアジアとアフリカの25カ国代表が参加した。戦争の危機回避を求めるアピールが採択された。
編集 他国との関係
宗教の違いや国境紛争で伝統的に隣国パキスタンとはかなり関係が悪く、国境紛争やチベット侵攻を行った中華人民共和国とも関係は悪い。
編集 領土紛争
詳細は「カシミール」、「アクサイチン」、「印パ戦争」、「中印国境紛争」をそれぞれ参照
カシミール地方のインドとパキスタン・中国との間で領土紛争があり、特にパキスタンとは激しい戦闘が繰り返され(印パ戦争)現在は停戦状態にある。インドの主張するカシミール地方は、ジャンムー・カシミール州となっている。
これとは別に、インド東部アッサム州北部のヒマラヤ山脈南壁は中国との間で領土紛争があったが中国側が自主的に撤退し、現在はインドのアルナーチャル・プラデーシュ州となっている。
編集 日本との関係
近代以前の日本では、中国を経由して仏教関連の情報とともにインドについての認識があったが、情報は非常に限られていた。そのころはインドのことを天竺と呼んでいた。また日本・震旦(中国)・天竺(インド)をあわせて三国と呼ぶこともあった。
第二次世界大戦ではインド国民会議派から分派した独立運動の指導者チャンドラ・ボースが日本軍の援助の下でインド国民軍を結成し、日本軍とともにインパール作戦を行ったが、失敗に終わった。他方、この独立運動は日本の食文化にも影響を与えている。チャンドラ・ボースの他にも、日本を基盤として活動した独立運動家にはラース・ビハーリー・ボース(中村屋のボース)やA.M.ナイルなどがいた。彼らは独立運動の傍らで、それまでヨーロッパ式やその亜流である軍隊食方式のものが席巻し、発祥地インドのそれとはおよそ異質な食べ物であった日本のカレーライスに、本格的なインド式カレーの製法を持ち込んだ。これらはボースが製法を伝授した新宿中村屋や、ナイルが戦後経営したナイルレストランの名物メニューとして現在も知られるとともに、戦後日本のカレー食文化、カレー製品に与えた影響も決して小さなものではない。
1948年、第二次世界大戦の極東国際軍事裁判において、インド代表判事パール判事(ラダ・ビノード・パール、1885年1月27日 - 1957年1月10日)はイギリスやアメリカが無罪なら、日本も無罪であるとして、日本無罪論を発表した。また1951年のサンフランシスコ講和条約には欠席し、これについて国会演説においてインド初代首相ネルーは「彼ら(日本)は謝罪が必要なことなど我々には何一つしていない。それ故に、インドは(サンフランシスコ)講和会議には参加しない。講和条約にも調印しない」と述べた。1952年4月に国交が樹立し、6月9日に平和条約が締結された。
2001年のインド西部地震では日本は自衛隊インド派遣を行い支援活動を行った。
日本政府は「価値観外交」を進め2008年10月22日には、麻生太郎、シン両首相により日印安全保障宣言が締結された[6]。
日本の閣僚としては、2000年に森喜朗総理大臣(8月18日~26日の東南アジア訪問の一貫)、2005年に小泉純一郎総理大臣(デリー)、2006年1月に麻生太郎外務大臣(デリー)、2006年アジア開発銀行年次総会の際に谷垣禎一財務大臣(ハイデラバード)、2007年1月に菅義偉総務大臣(デリーとチェンナイ)、2009年12月に鳩山由紀夫総理大臣(ムンバイとデリー)がそれぞれ訪問している。
広島の原爆記念日である毎年8月6日に国会が会期中の際は黙祷を捧げているほか、昭和天皇崩御の際には3日間喪に服したほどで、インドは極めて親日的な国家である。 しかし、インド人の日本への留学者は毎年1000人以下と、他のアジアの国の留学生の数に比べて極端に低い。
編集 軍事
詳細は「インド軍」を参照
編集 地方行政区分
詳細は「インドの地方行政区画」を参照
インドは28の州と6つの連邦直轄領と、デリー首都圏 (National capital territory of Delhi) から構成される。ただし、ジャンムー・カシミール州はその全域をパキスタンとの間で、またジャンムー・カシミール州の一部とアルナーチャル・プラデーシュ州のほとんどを中国との間で、それぞれ領有権をめぐって外交・国際政治の場で激しく争われている。
編集 主要都市
詳細は「インドの都市圏人口の順位」を参照
詳細は「インドの都市の一覧」を参照
都市
行政区分
人口
都市
行政区分
人口
1
ムンバイ
マハーラーシュトラ州
13,662,885
11
ジャイプル
ラージャスターン州
2,997,114
2
デリー
デリー
11,954,217
11
ラクナウ
ウッタル・プラデーシュ州
2,621,063
3
バンガロール
カルナータカ州
5,180,533
12
ナーグプル
マハーラーシュトラ州
2,359,331
4
コルカタ
西ベンガル州
5,021,458
14
インドール
マディヤ・プラデーシュ州
1,768,303
5
チェンナイ
タミル・ナードゥ州
4,562,843
15
パトナ
ビハール州
1,753,543
6
ハイデラバード
アーンドラ・プラデーシュ州
3,980,938
16
ボーパール
マディヤ・プラデーシュ州
1,742,375
7
アフマダーバード
グジャラート州
3,867,336
17
ターネー
マハーラーシュトラ州
1,673,465
8
プネー
マハーラーシュトラ州
3,230,322
18
ルディヤーナー
パンジャーブ州
1,662,325
9
スーラト
グジャラート州
3,124,249
19
アーグラ
ウッタル・プラデーシュ州
1,590,073
10
カーンプル
ウッタル・プラデーシュ州
3,067,663
20
ヴァドーダラー
グジャラート州
1,487,956
1991年・2001年実施の国勢調査データを元にした2008年時点の推定予測値[7]
編集 経済
詳細は「インドの経済」を参照
ボンベイ証券取引所、アジア最古の証券取引所
IMFによると、2010年のインドのGDPは1兆4300億ドル(約120兆円)であり、世界第11位である[8]。
独立以降、重工業の育成を図り、国内産業保護を政策としていた。冷戦が終わり、1991年に通貨危機をきっかけとしてインド型社会主義の実験を終え、経済自由化に政策を転換した。外資の導入、財政出動などにより、経済は成長を遂げた。2001年にはゴールドマン・サックスがレポートで、中国やロシアとともにBRICsと呼び成長を続ける新興国として注目されるようになる。2007年には同じくゴールドマン・サックスが「インド経済が今世紀半ばに米国を追い抜き、中国に次ぐ世界2位の経済大国に成長する」とのレポートを出した[9]。しかし、2008年には世界的な経済減速に加え、政府が経済政策に手をこまねいていた(政府債務の増加、進まない経済特区、過度の補助金による市場の歪みと生産性の低さ)ために、経済成長の減速と外資の流出を招いた[10]。
産業構造は、農業、サービス業の比率が高いが、農業が減少しサービス業が伸長する傾向にある。
貿易については、産業保護政策をとっていたため貿易がGDPに与える影響は少なかったが、経済自由化後は関税が引き下げられるなどされ、貿易額が増加、GDPに与える影響力が大きくなっている。主な貿易品目は、輸出が宝石や医薬品、輸入は宝飾製品や原油など。
編集 通貨
ルピー (Rs, Rupee) とパイサ(Paisa、複数形はPaise)。1ルピーは100パイサ。25パイサ未満の通貨はほとんど出回っていない。 1万円は約5500ルピー(2009年2月現在)[11]。
編集 第一次産業
生産量は多いものの、インフラの未整備や中間搾取などがネックとなっている。食料自給率は100%を超えている。また、生産物のうち約30%は廃棄されてしまうという[12]。
こうした中、政府は農業政策として法律の改正や商品取引所の整備、大規模な予算措置をとるなど、農業改革に乗り出している[12]。
編集 主な農産物
1960年代から穀物の増産に成功し、緑の革命と呼ばれる。
米 パンジャブ地方、ガンジス川中下流域で盛ん。 世界生産量第2位
綿花 デカン高原で盛ん。 世界生産量第3位
小麦 北部で盛ん。 世界生産量第2位
ジュート 世界生産量の60%以上を占める。 世界生産量第1位
茶 アッサム地方で盛ん。アッサムティーと呼ばれる。 世界生産量第1位
編集 第二次産業
製造業は、他の産業に比べ立ち後れていたが、政府の後押しもあり成長を始めた[13]。
また、同業種の工場が集まってクラスターを作る動きもある。津田義和教授(立教大学)の提案を元に生まれたクラスターは、品質管理、生産性の向上に一役買っているという[14]。
ただし、成長を続けるインドの製造業だが、課題も多い(#課題を参照)。また、品質についても先進諸国に比べるとまだ高いとは言い難いところがあり、「インド品質」とも呼ばれている。機能は問題が無くても、見た目や細かい部分でまだ品質に劣る。これは原材料の質に加えて、労働者の意識が品質について十分ではないことが要因としてあげられる[15]。
編集 自動車産業
ヒンドゥスタン・モーターズやタタ自動車、マヒンドラなどの地場資本の自動車メーカーの他、スズキやルノー、三菱自動車などが1991年まであったライセンス・ラージのためインドの地場資本と提携する形で進出している。自動車生産は1994年が24.5万台であったが、2010年には200万台規模へと急速に拡大する見通しで、原油高の流れにも乗って小型車輸出も順調に拡大している。業界第2位のタタが2008年に30万円程度の超低価格車を生産すると発表したことは、インドの技術力の一定の進歩と低廉な労働市場を世界へ改めて認識させる結果となった[16]。
編集 バイオテクノロジー
インドというとITが有名だが、バイオテクノロジーの分野にも力を入れている。1986年にはバイオテクノロジー庁が設立された。
編集 主な産業
綿工業(現在は衰退)、ジュート工業: ムンバイ
鉄鋼業: ジャムシェードプル
集積回路: バンガロール、プネー
編集 第三次産業
編集 情報サービス業
1990年代から2000年代にかけてインド経済を牽引していると言われていたITなど情報サービス業は、2000年代後半には優位性が揺らいできている。また、インド国外だけでなくインド国内にも情報サービス業の大きな市場があるにもかかわらず、インド企業は国外ばかりに目を向けているため、国内市場への欧米企業進出を許している[17]。
当初、インド企業の強みであった低コストは、為替変動と国内の人材不足により優位性を失いつつある。加えて、インド企業に仕事を奪われた欧米企業は、インド国内に拠点を設け、技術者を雇うことによって劣勢であったコストの問題を挽回した。同時に、単なる業務のアウトソーシングに留まらず、ビジネスコンサルティング等の高度なサービス提供によって差別化を図っている[17]。特にIBMの動きは活発で、企業買収を繰り返しわずか2年でインド国内でも最大規模の拠点を築いた。インド国内市場にも積極的に営業を行っており、市場シェアトップとなっている[17]。
こうした状況に、インド国内からは情報サービス業企業の革新を求める声があがり始めたが、インド企業の経営陣は海外にばかり目を向け国内市場には長い間目を向けておらず、またカースト制度に由来したエリート意識からインド企業の優位を信じて革新に対する意識は低い状況にあるという[17]。また、ギルフォード証券のアナリスト、アシシュ・サダニはインド企業は25%という高い利益率となっていることを述べた上で、「それほど高い利益率を維持できるのは、未来のための投資を怠っているということの表れなのだ」と評し、今後の成長のためには目先の利益だけでなく、将来へ向けた投資をしなければならないと指摘している[17]。
編集 小売業
規模は2000年代半ばで3000億ドル超となっており、2017年には1兆ドルに迫ることが予想される[18]。外国企業も進出を行っているが、出店に対しては政府による法規制が行われている。背景には、多数の零細個人商店、行商人が職を失うのではないかという問題がある。これら既存の小売業者は、大規模スーパーをインドへ進出させようとしている外国企業(カルフールやウォルマートなど)に対し抗議運動を活発化させている[18]。
編集 ハイテク関連
大学や研究機関などには直径十数メートルから数十メートルのパラボラアンテナが地上や屋上に設えてあり、人工衛星を用いてインターネット接続ができる。
インド国内にはこのようなパラボラアンテナを備えた施設が国全体を取り囲むように州ごとに存在し、周辺地域へは光ケーブルを用いてサービスされている。しかし、建設工事の近代化は遅れており、STPI (Software Technology Parks of India) から周辺に敷設中の光ファイバーの工事現場では、建設重機が見当たらず、殆どが手掘りであった(2002年2月現在)。
編集 イギリスとの関係
17世紀、アジア海域世界への進出をイギリスとオランダが推進し、インド産の手織り綿布(キャラコ)がヨーロッパに持ち込まれると大流行となり、各国は対インド貿易を重視したが、その過程で3次にわたる英蘭戦争が起こり、フランス東インド会社の連合軍を打ち破り(プラッシーの戦い)、植民地抗争におけるイギリス覇権が確立した。1765年にベンガル地方の徴税権(ディーワーニー)を獲得したことを皮切りにイギリス東インド会社主導の植民地化が進み、1763年のパリ条約によってフランス勢力をインドから駆逐すると、マイソール戦争・マラータ戦争・シク戦争などを経てインド支配を確立した。イギリス東インド会社は茶、アヘン、インディゴなどのプランテーションを拡大し、19世紀後半にはインドでの鉄道建設を推進した。
イギリス支配に対する不満は各地で高まり、インド大反乱(セポイの反乱、シパーヒーの反乱、第一次インド独立戦争)となった。イギリスは、翌年にムガル皇帝を廃し、東インド会社がもっていた統治権を譲り受け、インド総督を派遣して直接統治下においた。1877年には、イギリス女王ヴィクトリアがインド女帝を兼任するイギリス領インド帝国が成立した。第一次世界大戦で、イギリスは植民地インドから100万人以上の兵力を西部戦線に動員し、食糧はじめ軍事物資や戦費の一部も負担させた。しかし、イギリスはインドに対して戦後に自治をあたえるという公約を守らず、ウッドロウ・ウィルソンらの唱えた民族自決の理念の高まりにも影響を受けて民族運動はさらに高揚したが、アムリットサル事件が起きた。
しかし非暴力を唱えるマハトマ・ガンディー、ジャワハルラール・ネルーにより反英・独立運動が展開された。ガンディーは「塩の行進」を開始したが成功しなかった。
イギリスのインド支配により徹底的に搾取され、17世紀と18世紀には大飢饉が起こり、愚民政策により識字率は60%から10%へ低下した。
第二次世界大戦では日本に亡命したチャンドラ・ボースが日本の援助によってインド国民軍を結成し、インド人兵士は多くが志願した。
インドは念願の独立後の1950年代以降も、多くのインド人が就職や結婚など様々な理由で、景気の見通しが上向きであった英国に移住した。当時、英国政府は移民の管理に懸命に務めたものの、61年にはすでに10万人以上のインド人や隣国のパキスタン人が定住していた、と記録に残っている。彼らの多くは英国にすでに移住している同郷人が親族を呼び寄せるという「連鎖移住」の制度を利用した。現在、英国に住むインド出身の人々は西ロンドンのサウソール、ウェンブリー、ハウンズロー、バーネット、クロイドン、郊外では東西ミッドランズ、マンチェスターそしてレスターにコミュニティーを作っている。またイギリスでは医師の3割がインド人である。
インドは歴史的に反英感情が強いものの、旧宗主国が普及させた世界共通語である英語を使い、英語圏中心に商売をしている。
編集 アメリカ合衆国との関係
冷戦期の反米親ソ路線とは裏腹に、現在では経済交流を初めとして親米化し友好関係が深まってきている。インドではソフトウェア産業の優秀な人材が揃っており、英語を話せる人材が多いためアメリカへの人材の引き抜きや現地でのソフトウェア産業の設立が盛んになっている。そのため、ハイテク産業でのアメリカとのつながりが大きく、アメリカで就職したり、インターネットを通じてインド国内での開発、運営などが行われたりしている。NHKスペシャルの「インドの衝撃」では、NASAのエンジニアの1割はインド人(在外インド人)だと伝えている。
また、アメリカとインドは地球の反対側に位置するため、アメリカの終業時刻がインドの始業時刻に相当し、終業時刻にインドへ仕事を依頼すると翌日の始業時刻には成果品が届くことからもインドの優位性が評価されるようになった(→オフショア)。
一時期、シリコンバレーは“IC”でもつと言われたことがあるが誰によって?、この場合のICは集積回路のIntegrated Circuitsを指すのではなくインド人と中国人を意味する。
英語の運用能力が高く人件費も低廉な為、近年アメリカ国内の顧客を対象にしたコールセンター業務はインドの会社に委託(アウトソーシング)されている場合が多い。多くのアメリカ人の顧客にとってインド人の名前は区別し難いため、電話応対の際インド人オペレーターはそれぞれ付与された(アングロサクソン系)アメリカ人風の名前を名乗っている。
アメリカとの時差は12時間で、アメリカで夜にITの発注をかけてもインドでは朝。そのためにアメリカで発注かけた側が就寝して朝目覚めれば、インドから完成品がオンラインで届けられている場合もあるとのこと。この言語と時差の特性を利用し、インドにコールセンターを置く企業も増えつつあるといわれている。
ちなみにアメリカの科学者の12%、医師の38%、NASAの科学者の36%、マイクロソフトの従業員の34%、IBMの従業員の28%、インテルの17%、ゼロックスの13%がインド系アメリカ人であり、インド系アメリカ人は100万~200万人台いると言われている。印僑の9人に1人が年収1億円以上、人口は0.5%ながら、全米の億万長者の10%を占める。彼らはアメリカのITの中枢を担っているためシリコンバレーに多く住んでおり、シリコンバレーにはインド料理店が多い。
またインド人学生はアメリカに留学する割合が高く、アメリカの留学生ランキングでは1位の韓国人学生に次いでインド人学生は多い。
また後述するようにアメリカ国内ではインド人に対する嫌がらせは基本的に見られず、強いて言うならばアメリカ同時多発テロの時にアラブ系と勘違いしてインド系を襲う事があった程度である。
編集 オーストラリアとの関係
南インドのオーストラリア総領事でインドはオーストラリアにとっての重要な輸出市場でオーストラリアは、市場競争力と付加価値がある専門技術と技術的ソリューションを、さまざまな分野にわたって提供しているという。インド工業連盟 (CII) は、「オーストラリアとのビジネス」と題したセミナーを主催、その開会の場でラーマン氏は、オーストラリアの専門技術と技術的ソリューションは、インドのあらゆる分野のビジネスで重要視されているとし、資源開発、鉱業、エネルギー、インフラ、建築、飲食、農業関連産業、情報通信技術、映画、メディア、エンターテインメント、小売り、金融、と活用されている分野を挙げた。
オーストラリアは移民政策としてアジア人を受け入れており、特にインド人は英語が話せるために多くが留学また移民として来ている。アメリカと同様にオーストラリアには多数のインド人が移民して、距離が近い分、アメリカに行くよりオーストラリアに行く事を選んだインド人も多い。オーストラリアにおけるインド系企業は浸透し、オーストラリアの金融機関のシステム開発は当時から、インド系ソフトウエア会社の存在なしには成り立たなくなっていた。
しかし移民政策の結果としてインド系移民が増えるにつれ、行き過ぎた多文化主義の反動として白豪主義が再燃し、オーストラリアの白人がインド人学生を狙う「カレー・バッシング」という暴力事件が起こり、オーストラリアでインド人留学生が暴行される事件が相次いで問題になっている。インド人留学生が襲われる犯罪は近年多発していている。また職種によってはインド人が独占する職場も見受けられるようになり、国内での新聞でも「カレー臭い」「シャワーを浴びろ」などインド人を差別する表現も目立つようになった。そのためかインド国内でもオーストラリア国内でもインド人差別に抗議するデモが発生している。
相次ぐインド人襲撃を受けて、ボリウッドの大物俳優アミターブ・バッチャンは、クイーンズランド大学から授与されるはずだった名誉博士号を辞退したほか、ブリスベンで行われる映画祭への出席も見合わせた。ケビン・ラッド首相はシン首相との会談の際に、事件の背景に人種差別があるわけではないと強調、オーストラリアは今でも世界有数の安全な国だとして平静を呼びかけた。
編集 中華人民共和国との比較
ともにアジアの地域新興大国、そしてBRICsの一角として、インドと中華人民共和国は様々な面で比較されることが多い。しかし国境問題等もあって両国とも相手国への好感が低く、関係は悪い。
産業構造では、中華人民共和国は単純製造業の比率が高く、これが成長を牽引したといわれており、インドは製造業の比率が低いことがマイナス要因となっていた。両国ともに製造業は労働集約型である。しかし中華人民共和国は設計、開発が国外で行われた組み立て型が中心であるのに対し、インドは自国で設計、開発を行う知識集約型が主力商品に含まれている。また、中国よりもインドのIT関連技術者の英語能力の方が高く、同一のIT知識を有している技術者でも、アメリカをはじめとする先進諸国のIT産業の下請けとしては、インド人の英語能力に優位性が認められ、高く評価されている。またインド人自らもこれを自負している。
ともに移民(印僑、華僑)が多く、移民先で経済的成功を収め大きな影響力を発揮することが多い。ただし印僑は華僑に比べると他国での成功は劣っており、シンガポールとマレーシアでは華僑のほうが圧倒的に経済力が強い。またインドは中国よりも海外からの投資、外国人観光客数、経済成長率、都市整備がかなり劣っている。
インドと中国は両者共々古い文明を持つが、訪問外国人数ではインドは500万人に対し、中国は5000万人という差がある。
ともに冷戦期は東側に近く、社会主義計画経済政策をとっていた点は共通していて、これは上記の移民の原因の一つとなった。現在は市場経済を導入しているにもかかわらず、「社会主義の国」と今も憲法で謳っている点も同じである。インドは同じく非同盟国のキューバと同様、ソ連と友好協力条約を結び、ソ連製の装備が60%以上ものシェアを持ち、コルカタ、ヴィジャヤワーダ、ニューデリーにレーニン像が建っているくらい極めて親密であった。
ただし建国以来、一貫して共産党の一党独裁体制の続く中華人民共和国に対して、インドは多党制で形の上では普通選挙が行われている。
両国間のかつての貿易は並々ならぬものであった。例えば、タタ財閥(ジャムシェードジー・タタ)は清国との交易から始まった。
中華人民共和国が近い将来少子高齢化社会となるのに比べ、インドは少子化問題の懸念がずっと少ない。ただしインドは過剰な人口であるものの識字率は58.0%という低さであり、今でも増加している。そのため近年識字率90.9%の中国とはGDPで大きく差をつけられている。また、中印両国とも経済成長が著しく、G20のメンバーであり、G14に加盟する可能性がある。現在常任理事国である中国は日本の常任理事国入りは不支持であるのに対し、犬猿の仲とも言われるインドの常任理事国入りは支持している。インドにとって中国は最大の貿易パートナーであるため、貿易では非常に密接な関係である。
編集 医療ビジネス
インドの医療レベルは飛躍的に進歩し、欧米で研修をした医師が帰国している。英語が第二公用語であるために、医療関係でも英語圏との結び付きが強い。インドでは海外からの医療ツアーのPRが行われており、「アポロホスピタルグループ」はインド内外で38の病院を経営し、4000人の医師を抱えるインド最大の病院チェーンで、特に心臓手術では施術例55000人・成功率99.6%という実績があり、心臓手術では世界五指に入るという。先進国より破格に治療費が安い事が魅力であり、医療費が高いアメリカとインドの手術費用を比較するとアメリカではおよそ350万円かかる心臓手術がインドでは80万円程度という4分の1以下の安さである。 計画委員会のレポートによると、インドには約60万人の医師と100万人の看護師、200万人の歯科医がおり、そのうち5%が先進国での医療経験を持つ。現在、6万人のインド人医師がアメリカやイギリス、カナダ、オーストラリアの医療機関で働いているという。世界的に見て医師と弁護士の水準が高く各国で活躍するインド人医師の数は6万人に上り、イギリスでは外科医の40%がインド人医師で占められ、アメリカに於いても10%超える外科医はインド人医師である。
編集 課題
インドの経済については、以下の課題が指摘されている。
編集 インフラ
インフラ整備等(電力不足、湾港施設のお粗末さなど)の事業環境に、各都市間で格差がある。世界銀行のレポートによれば、首都であってもインフラ整備は十分ではないという。首都デリーを含むインド全土で毎日停電が頻発しているため大きな工場やオフィスは自家発電設備を備えている。また大都市近辺では車両の増加に道路整備が追いつかず、定常的に渋滞が発生している。
それに対して、行政府は外国企業の誘致をさらに進める意向であるとともに、事業環境が十分ではない状況を改善する意向を持っている。
マンモハン・シン首相は「外国企業の誘致に向け、インフラ整備や税制の簡素化、関税の削減、申請手続きの迅速化を進めてきたが、「まだ十分ではない」と述べ、改善を急ぐ考えを明らかにしている。
P・チダンバラム財務大臣は「民間企業による投資が、年率9%成長の維持に不可欠とみており、「国内外を問わず民間企業が投資できる環境を整備する必要がある」と述べた。
2007年度予算案では、インフラ整備への予算配分を増加。投資額は前年度40%増の1兆3400億ルピーとなっている。また、経済成長持続に向けてさらなる投資が必要としている。「インドは今後5年間で道路や空港、港、鉄道などのインフラ整備に向けて14兆5000億ルピー規模の投資が必要としている」[19]
また、経済特区を設置し、障害が最小限のレベルですむようにすることによって、海外企業の工場進出を促した。2007年現在、約300の経済特区がある[13]。
編集 土地問題
インドでは、7億人が農業に従事しているため多くの土地が農地となっており、大規模な工場を建設する余地が乏しいという。そのため、各地で工場を建てたりなどで土地が必要な企業と、農地を奪われる形となる農民との間でデモや衝突が起こっている[20]。以下に一例を挙げる。
タタ・モーターズ - タタ・ナノの生産工場を巡り対立。
ポスコ - オリッサ州で製鉄所建設を巡り3年間対立(2008年時点)[20]。
編集 交通
編集 道路
イギリス領だった影響から、左側通行である。
高速道路などは計画・建設中の段階である。デリー・コルカタ・チェンナイ・ムンバイを結ぶ延長約5800kmの道路(通称「黄金の四角形」)が2006年中に完成した。また、国内を東西方向・南北方向に結ぶ+型の延長約7300kmの道路(通称「東西南北回廊」)も2007年末に完成する予定である。これらの高速道路は通行料金(Toll)が必要な有料道路(Toll way)であり、所々に料金所があるが、一般道と完全に分離しているわけではない。大都市では片道3車線以上で立体交差であるが、数十km郊外に行けば片道2車線で一般道と平面交差し、近所の馬車や自転車も走る。これ以外の道路も舗装はされているが、メンテナンスが十分でなく路面は凸凹が多い。
編集 鉄道
詳細は「インドの鉄道」を参照
現在では鉄道が移動の主体となっている。貧富の差が激しいのにあわせて、使う乗物によってかかる費用が大きく違う。例)ムンバイ、デリー間。飛行機の外国人料金: 6000ルピー。二等の寝台: 400ルピー。また日本の新幹線を基にした高速鉄道や貨物鉄道も計画されている。
編集 航空
かつて旅客機は一部の富裕層でしか使われていなかったが、2000年代に入り国内大手資本により格安航空会社が多数設立され、それに併せて航空運賃が下がったこともあり中流階級層を中心に利用者が増加している。
航空会社としては以下のものがある。
エア・インディア(国営のフラッグ・キャリア)
ジェットエアウェイズ
インディアン航空
エア・サハラ
スパイス・ジェット
キングフィッシャー航空
エア・デカン(格安航空会社)
首都ニューデリーにはインディラ・ガンディー国際空港がある。その他の空港についてはインドの空港の一覧を参照。
編集 人口
2007年の人口は1,131,043,000人。インドの人口は1950年以降、毎年1,000万~1,500万人の勢いで増加し続け、2005年には11億人を突破した。国連の予測では今後もこのペースで増加し、2030年代に中華人民共和国を追い抜く可能性が高い。中華人民共和国が一人っ子政策を見直さない限り2030年代で人口が頭打ちになるのと比べ驚異的な伸びといえる。ただし2030年代以降は毎年500~700万人増と人口増加はやや鈍化する。とはいえ2050年には16億人近くに達し、その後も増加し続け、2100年には18億人近くになるというのが大方の専門家の見方だ。またインドは人口構成が若いのが特徴で、2000年の中位年齢は23歳、2050年でも38歳と言われている誰によって?。
インドの人口の推移と予測
年
人口(万人)
増加率 (%)
1950
3億5756
×
1960
4億4234
2.2
1970
5億5491
2.3
1980
6億8885
2.2
1990
8億4641
2.1
2000
10億0169
1.9
2005
11億0337
×
2007
11億3104
×
2010
11億7380
1.4
2020
13億1221
1.1
2030
14億1657
0.8
2040
14億8571
0.5
2050
15億9000
0.3
2100
17億9000
0.3
編集 国民
パンジャーブ地方に暮らす一部の民族は、起源をヨーロッパのロマ(ジプシー)と同じにする。そのほか、民族によって服装や生活様式の違いがはっきりと分かれていることが多い。またロマは先住民のドラヴィダ人ではないかという説も浮上している。
編集 人種
現在のインド人は先住民のドラヴィダ人と中央アジア方面からやってきたアーリア人との混血であるといわれている。Y染色体やMtDNAの研究結果によると、インド人の大半は南アジア固有のハプログループを有している。またこれらの染色体は他の人種には類を見ない特異な遺伝子であることがわかっている[21][22]。
編集 印僑
印僑は華僑・ユダヤ人・アルメニア人に並ぶ世界四大移民集団で、海外で成功を収めている。大英帝国の植民地時代から世界各国の国へ移民し、特にイギリスの支配下であった英語圏に圧倒的に多いのが特徴である。
1500万人とも言われる誰によって?膨大な数の在外インド人(NRI=印僑)は世界中に移住しており、その中の一部はインドへの投資も積極的である。
編集 言語
詳細は「インドの言語」、「インドの公用語の一覧」、「インドの言語の話者数一覧」をそれぞれ参照
インドはヒンディー語を連邦公用語とする。ヒンディー語圏以外では各地方の言語が日常的に話されている。インドで最も多くの人に日常話されている言葉はヒンディー語で、約4億人の話者がいると言われ、インドの人口の約40%を占める。方言を含むと800種類以上の言語が話されているインドでは、地域が異なればインド人同士でも意思疎通ができない場合がある。植民地時代に家では英語だけで子供を育てたことなどから、英語しか話せない人もいる。しかし一方で、地域や階級によっては英語がまったく通じないこともしばしばである。1991年の国勢調査によると、178,598人(調査対象者の0.021%)が英語を母語にしており、9000万人以上(同11%)が英語を第一、第二、ないし第三の言語として話すとしている。インド社会は国内コミュニケーションの必要上から第二公用語の英語を非常に重視しており、結果として国民の英語能力は総じて高い。インドの大学では全て英語で講義を受けるため、インド人留学生にとって、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリアなどの英語圏が留学先として圧倒的に人気が高いのである。
憲法には1950年の憲法施行後15年で英語を公用語から除外するとしている。現在、憲法はヒンディー語で翻訳され、正文とされているが、現実には15年を経過しても英語を除外することができず、公用語法において英語の使用を無期限延長することとしている。ただし英語離れとでも言うべき動きは進んでおり、すでにボンベイ、カルカッタ、マドラスという大都市さえも、それぞれムンバイ、コルカタ、チェンナイという現地語の名称へと公式に改められた。こうした傾向はインド国内でのナショナリズムの拡大・浸透が続く限り進むものと見られるが、連邦公用語のヒンディー語は未だ全国に浸透していない。特にインド南部タミル・ナードゥ州などではヒンディー語を連邦公用語とすることへの反発が強い。
インドの言語は北部のインド・ヨーロッパ語族インド語派と南部のドラヴィダ語族に大きく分かれる。ドラヴィダ語族の言語は主に南部のアーンドラ・プラデーシュ州、カルナータカ州、ケーララ州、タミル・ナードゥ州で話され、それ以外の地域がインド・ヨーロッパ語族に含まれる。この様に北部と南部とで言語が大きく異なっているため、インド・ヨーロッパ語族に含まれるヒンディー語がドラヴィダ語族の人々への浸透の遅れる原因ともなっている。
1980年代以降のヒンドゥー・ナショナリズムの高まりと共に、サンスクリットを公用語にしようという動きも一部で高まっている。もともと中世以前においてはインド圏の共通語であったと考えられているサンスクリットは、各地方語の力が強まりその役割が果たされなくなった後も、上位カーストであるブラフミンの間では基礎教養として身に付けられてきたという経緯がある。しかし古い言語であるだけに、現在(学者・研究者による会議の席上や特殊なコミュニティー等を除けば)日常語として話している人はほとんど居らず、またその複雑さ故に同言語の学習に多年を要することなどもあり、実際の普及は滞っているのが現状である。
編集 公用語
インドの言語の地理的分布
多言語社会であるインドにおいて、国家が国民統合を推し進める上で、また実際に行政運営を行う上で言語は常に重要な位置を占めている。当初独立運動の過程では、植民地の行政言語(公用語)であった英語に代わって、北インドを中心に広く通用するヒンドゥスターニー語を新たに独立インドの象徴として積極的に採用していこうというガンディーらの意見があった。その流れを受けて、独立後制定されたインド憲法[2]の第343条では、ヒンドゥスターニー語の流れを汲むヒンディー語が連邦公用語として規定されている。これに対しては憲法起草段階から現在に至るまで南部のタミル・ナードゥ州を中心に反対意見が根強いが、連邦政府はおりにつけ各地でヒンディー語の普及を推し進めている。
それ以外にもインド憲法条文(第8付則[3]、および憲法修正第92法[4]を参照)には以下列挙する「22の言語」が明記されている。しかし、これら22言語(通称「第8付則言語」)は、憲法によって「公用語」として規定されているわけではなく、あくまで「公的に認定された言語」という曖昧な位置づけに留まっている。例えば、サンスクリット語やシンディー語などはいずれの州でも公用語として採用されておらず、また逆にミゾラム州の公用語の一つであるミゾ語などは、この22言語の中に含まれていない。
アッサム語
ウルドゥー語
オリヤー語
カシミール語 (ジャンム・カシミール州に話者がいるが、州の公用語とはしていない)
カンナダ語
グジャラート語
コーンカニー語
サンスクリット語 (古典言語であるため日常語としての話者はほとんどいない)
サンタル語
シンディー語 (グジャラート州に話者がいるが、州の公用語とはしていない)
タミル語
テルグ語
ドグリ語
ネパール語
パンジャーブ語
ヒンディー語
ベンガル語
ボド語
マイティリー語
マニプリ語 (マニプル州の第二公用語としてのみ使用されている)
マラーティー語
マラヤーラム語
各州及び連邦首都圏・連邦直轄領で公用語(第二公用語は除く)となっている言語は以下のとおり。 憲法第8附則に明記されている言語、および連邦公用語は太字で示してある。
アッサム州 (英語、アッサム語)
アルナーチャル・プラデーシュ州 (英語)
アーンドラ・プラデーシュ州 (英語、テルグ語)
ウッタラーカンド州 (英語、ヒンディー語)
ウッタル・プラデーシュ州 (英語、ヒンディー語)
オリッサ州 (英語、オリヤー語)
カルナータカ州 (英語、カンナダ語)
グジャラート州 (英語、グジャラート語、ヒンディー語)
ケーララ州 (英語、マラヤーラム語)
ゴア州 (英語、コーンカニー語、マラーティー語)
シッキム州 (英語、ネパール語)
ジャールカンド州 (英語、ヒンディー語)
ジャンムー・カシミール州 (英語、簡易ウルドゥー語)
タミル・ナードゥ州 (英語、タミル語')
チャッティースガル州 (英語、ヒンディー語)
トリプラ州 (英語、ベンガル語、カク・バラク語)
ナガランド州 (英語)
西ベンガル州 (英語、ベンガル語)
ハリヤーナー州 (英語、ヒンディー語)
パンジャーブ州 (英語、パンジャーブ語)
ビハール州 (英語、ヒンディー語)
ヒマーチャル・プラデーシュ州 (英語、ヒンディー語)
マディヤ・プラデーシュ州 (英語、ヒンディー語)
マニプル州 (英語、マニプリ語)
マハラシュトラ州 (英語、マラーティー語)
ミゾラム州 (英語、ミゾ語)
メーガーラヤ州 (英語)
ラージャスターン州 (英語、ヒンディー語)
連邦首都圏と連邦直轄領
デリー首都圏 (英語、ヒンディー語)
アンダマン・ニコバル諸島連邦直轄領 (英語、ヒンディー語)
ダードラー及びナガル・ハヴェーリー連邦直轄領 (英語)
ダマン・ディーウ連邦直轄領 (英語、グジャラート語)
チャンディーガル連邦直轄領 (英語)
ポンディシェリ連邦直轄領 (英語、タミル語、テルグ語、マラヤーラム語)
ラクシャディープ連邦直轄領 (英語)
編集 宗教
「インドの宗教」も参照
多くの人はヒンドゥー教徒で、それにまつわる身分差別であるカースト制度の影響は今でも残っている。インド軍内においても出身地別の部隊であったり、士官学校にいけるカーストが限定されているなど軍隊組織にもカースト制度の名残がある。
イスラム教徒もインド国内に多数おり、その数ではインドは世界第3位のイスラム教国となり、(1位インドネシア、2位パキスタン)ヒンドゥー教から一方的に迫害されることはないが、ヒンドゥー教徒の力が強いためにイスラム教徒との勢力争いで、暴動が起きることもある。そのためイスラム教徒がヒンドゥー教の寺院を破壊したり、その逆にヒンドゥー教徒がイスラム教のモスクを破壊したりといった事件も後を絶たない。
インドの人口に占める各宗教の割合: ヒンドゥー教徒80.5%、イスラム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.9%、 仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%(2001年国勢調査)[23][24][25]
編集 ヒンドゥー教
ヒンドゥー教は最大の信徒数を誇る。そのため、牛や猿を神聖化[26]する習慣やカースト制度などインド社会への影響は大きい。また、聖なる川、ガンジス川で身を清め、来世の存在を信じている。イスラム原理主義やイスラム過激派・テロ、またイスラム国家のパキスタンとの対立に刺激されて、ヒンドゥー教原理主義が登場している。インドでのヒンドゥー教徒の割合は1961年に83.4%であったが2001年には80.5%である[27]
編集 キリスト教トマス派
詳細は「トマス派」を参照
インドのキリスト教徒の多くはローマ・カトリック教会に属しており、インド南部のゴア州やケーララ州などに集中している。これはイギリス統治時代以前のポルトガルの交易による影響が大きい。インドでは東方教会の一派であるトマス派が存在しており、マイノリティであるものの、一定の影響力を維持してきた。これとは断絶する形で、イギリスの植民地化以降はカトリックやプロテスタント諸派の布教が進み、トマス派を含めて他宗派の住民が改宗した。
編集 仏教
詳細は「インドの仏教」を参照
仏教発祥の地であるが、5世紀から12世紀の間に衰退、十三世紀初頭のイスラム教徒によるビクラマシーラ大僧院の破壊により、僧院組織は壊滅的打撃をうけ、インド仏教は、ベンガル地方でベンガル仏教徒とよばれる小グループが細々と命脈を保つのみとなった。一説では東南アジア、東アジアに仏教が広まったのは、インドで弾圧された多くの仏教関係者が避難したことが理由としてあげられる。
カシミール州のラダック地方、ヒマーチャルプラデーシュ州の北部、シッキム州など、チベット系住民が居住する地方では、チベット仏教が伝統的に信仰されている。
1956年、インド憲法の起草者の一人で初代法務大臣を務めたアンベードカルが死の直前に、自らと同じ50万人の不可触民と共に仏教徒に改宗し、インド仏教復興の運動が起こった。現在は日本人僧の佐々井秀嶺がアンベードカルの正式な後継者と認められ、インド仏教運動を継続している。近年、ヒンドゥー教のカーストを嫌う不可触民や下層階級の人々がヒンドゥー教から仏教に改宗する動きがあり、実質、5千万とも1億ともいわれるが、不可触民に与えられる保障や優先枠のため、選挙などの機会に作られる住民登録では不可触民として登録してしまうので、国勢調査の数字には表れていないとされる。公式統計では仏教徒は人口の0.7%(約700万人)に達している。インドでの仏教徒の割合は1961年に0.7%であったが2001年には0.8%である[27]
編集 文化
日本人が持つインドのイメージは一般的には食料品のカレーの国であり、暑く、階層があり、男性はターバンを女性はサリーをまとった人々が住む国と感じている場合が多い。この理由はインドを単純に南北に分けた場合、首都ニューデリーやガンジス川を含む北インドの情報が多く南インドの情報が少ないことに帰因している。
編集 思想
詳細は「インド哲学」を参照
インドにおいて発達した思想は、法(धर्म ダルマ)・利(अर्थ アルタ)・愛(काम カーマ)の三つ、あるいはこれらに解脱(मोक्ष モークシャ)を加えた四つを主題として展開してきた。法は主にヴェーダに述べられる祭式とそれにまつわるバラモン等の四つのヴァルナの正しい生き方に関わり、利は主にクシャトリヤの国王を中心とした国家の正しい運営方法あるいはあり方に関わり、愛は格好よさ・夫婦の生活・性交・遊女など広く男女の間柄についてのあり方に関わっている。また解脱とその前提となる輪廻(संसार サンサーラ)は、人間の死後のあり方に関わっており、インドにおけるほとんどすべての宗教思想や哲学と密接な関係にある。
編集 教育
詳細は「インドの教育」を参照
インドでは最近にかけて英語の授業が早く行われるようになった。インドの私立高校はすでに初等教育から英語で行われている。ニューデリーでは公立学校の初等教育で英語が行われている。インドは現地の言語と英語で行われている。小学校、中学校の授業料は無料、しかしインド全体での字が読めない人の割合は半分以上である。高等教育では2年制と4年制で分けられており、大学へ進学するためには、4年制で学ばなければいけない。
編集 映画・音楽
詳細は「インドの映画」を参照
インド国内では各地方の言語でそれぞれ独自に映画が制作されていることもあり、インドは世界で最も多くの年間映画制作本数をほこる国である。また同様に音楽も各言語ごとにアーティストがおり、独自のアルバムが制作される。それぞれの言語(州)ごとに音楽や映画の活動家が存在する。
特に北部を中心にインド全土で上映されるヒンディー語による娯楽映画は、その制作の中心地であるムンバイの旧名ボンベイとアメリカのハリウッドをもじって「ボリウッドフィルム」と呼ばれている。様々なタイプの映画があるが、多くはミュージカル要素を含んだ映画で、これらは日本で「マサラムービー」と呼ばれ親しまれている。インドだけではなく西アジア・アフリカ・東南アジア諸国で大変な人気があり、重要な輸出産業のひとつとなっている。欧米でもインド系住民が住む大都市部を中心に人気が広がっている。
おしん、七人の侍などの日本映画も知られている。日本テレビ系番組ウッチャンナンチャンのウリナリ!!にてインド映画を紹介したり、自ら主演する企画があった。この後日本でインド映画が上映されることが多くなったことがある。
編集 世界遺産
詳細は「インドの世界遺産」を参照
インド国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が21件、自然遺産が5件ある。
編集 祝日
法律で決められ、全国一律に実施される祝日は下記3日。
祝日
日付
日本語表記
現地語表記
備考
1月26日
共和国記念日
Republic Day गणतंत्र दिवस
1950年の憲法発布を祝う日
8月15日
独立記念日
Independence Day स्वतंत्रता दिवस
1947年にイギリスから独立した日
10月2日
ガンディー生誕記念日
Gandhi Jayanti गांधी जयंती
他に各州によって祝祭日が設けられている場合があり、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教の祭礼日がある。各企業では法律上の3日を含めて年間10日程度の休日を設けているが、どの日を休日にするかは一律でない。またヒンドゥー教に由来する祭日は太陽暦ではなく、インド特有の太陰太陽暦に基づいており、太陽暦上では2週間程度前後する。各地域で休日とされる日程のうち太陽暦に準拠する日は3回。
祝日
日付
日本語表記
現地語表記
備考
1月1日
元日
New Year's Day
日本と違って休みは1日のみ
9月17日
ヴィッシュヴァカルマ祭
Vishvakarman Pooja विश्वकर्मा पूजा
各地の工場で物造りの神ヴィシュヴァカルマンを讃える祭り。ヒンドゥー教で唯一太陽暦に準拠(アーンドラ・プラデーシュ州など一部地域のみ)。
12月25日
クリスマス
Christmas
全国的に休みとなる
太陰太陽暦に基づく祝日
祝日
日付
日本語表記
現地語表記
備考
1月
ポンガル(タミル・ナードゥ州など南部)/マカラ・サンクラーンティ(主に北インド全般)
Pongal பொங்கல்/Makara Sankranti मकर संक्रांति
冬至の時期に行われる収穫祭。
3月
ホーリー
Holi होली
インド3大祭りに上げられる春祭り
4月
ラーマ降誕祭
Ramnavmi रामनवमी
ラーマ神の誕生日を祝う
7~8月
ラクシャー・バンダン
Raksha Bandhan रक्षाबंधन
女性が兄弟の手首に飾り紐を巻きつけて加護を願う祭り
8月
クリシュナ・ジャナマーシュタミー
Krishna Janamashtami कृष्ण जन्माष्टमी
クリシュナ神誕生日、北インドで盛大な祭り
8~9月
ガネーシャ祭
Ganesh Chaturthi गणेश चतुर्थी
西部のマハーラーシュトラ州で盛んな祭り。
10月
ダシャーラー
Dassera दशहरा
インド3大祭りの一つ、ラーマ王子が悪魔に打ち勝った日を祝う
10~11月
ディーワーリー
Diwali दीवाली
インド3大祭りの一つ、富と幸福の女神ラクシュミーを祭る
11月
グル・ナーナク生誕祭
Guru Nanak Jayanti गुरु नानक जयंती
シク教の開祖グル・ナーナクの誕生日
またキリスト教の Good Friday(3~4月)も休日として扱われる。この結果一つの会社内でも本社・支店・工場で休日が異なることが多い。8月のクリシュナ祭がデリー本社は休日だがムンバイ支店は営業日で、ガネーシャ祭は逆になるという事が起こる。
編集 スポーツ
インドの国民的スポーツはイギリス統治時代から盛んだったフィールドホッケーで、インドホッケー連盟がナショナルチームを初めとした国内組織を統轄している。ホッケー・ワールドカップでも1975年大会の優勝実績があり、オリンピックでは金が8個、銀1個、銅2個のメダルを獲得している。プロリーグとしては2005年よりプレミア・ホッケーリーグがあり、テレビ中継が開始されている。
国民の人気と言うことではクリケットの人気が高い。ナショナルチームが1983年クリケット・ワールドカップでの優勝などの実績を持つ。インド・クリケット協会 (Board of Control for Cricket in India, BCCI) が国内組織を統轄しており、国内大会はドゥリープ杯、デオダール杯などがあり、またトゥエンティ20ルールで運営するインディアン・プレミアリーグ (IPL) 、インド・クリケットリーグ (ICL) のプロリーグがある。クリケット・ワールドカップも1987年と1996年大会をインドで開催し、2011年大会も開催予定している。
近年テニスもデビスカップインド代表の人気もあり、急速に人気を博している。
北東インド、ベンガル、ゴア、ケララではサッカーも大変人気で、ナショナルチームは南アジアサッカー選手権で何度も優勝している。2007年には、プロサッカーリーグのIリーグが発足した。
インドの伝統的なスポーツであるカバディ、コーコー (kho kho) 、ギリ・ダンダ (Gilli-danda) なども全国で広く競技されている。またインド南部ケララ地方古来の武術であるカラリパヤットや、ヴァルマ・カライも行われている。
2008年に開かれた北京オリンピック・男子エアライフルでアビナブ・ビンドラーが優勝、個人競技で初めての金メダルを獲得した。
インドはデリーで、1951年アジア大会と1982年アジア大会を開催し、また2010年コモンウェルスゲームズを開催予定している。
2011年には、インド国内としては初めてのF1開催であるインドGPを予定している。ただ、これまでサーキット用地買収や運営する国内モータースポーツ連盟の分裂・混乱などの問題が発生、開催時期は当初の2009年から2010年、そして2011年と延期が続いた。インドにとってのF1は2005年より関係が深まってゆき、その年にジョーダン・グランプリから参戦し2006年と2007年はウィリアムズのテストドライバーを担当していたナレイン・カーティケヤンが初のインド人ドライバーとなった。その後、2008年よりキングフィッシャー航空の創業者でユナイテッド・ブリュワリーズ・グループの会長を務めるインド人実業家のビジェイ・マリヤがインド初のF1チームであるフォース・インディアを設立。2010年にはインド人2人目のF1ドライバーであるカルン・チャンドックがヒスパニア・レーシング・F1チームよりデビューした為、インド国内でのF1への関心は高まりつつあり、インドGPのF1初開催は刻々と現実味を帯びてきている。
編集 脚注
^ ニューデリーはデリー首都圏の一角といって良いが、インド政府の公式サイトおよび日本外務省のサイトなどにおいては、首都は「ニューデリー」と表記されている。
^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])
^ インドチャンネル インドニュース【コラム】変わりつつあるインド 拡大する貧富の差![アショク・チャウラ ]
^ BRICS辞典 インドのGDP~経済成長率推移
^ 新生銀行 インド現地レポート ムンバイ訪問記 第1回 強気の電力会社、そして「貧富の差」の真実
^ http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/india/visit/0810_ahks.html
^ "World Gazetteer: India - Metropolitan areas 2008 calculation", 2008年9月28日
^ IMF: World Economic Outlook Database
^ 『フジサンケイビジネスアイ』 2007年1月27日付配信
^ Manjeet Kripalani「インド経済、壁にぶち当たる 経済成長率は下降し、株価は4割低下、外国人投資家も…」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年7月10日付配信
^ http://quote.yahoo.co.jp/m5?a=10000&s=JPY&t=INR
^ a b 『農業再構築がインド経済の決め手に』2007年4月10日 日経ビジネスオンライン
^ a b 『インド、次の「世界の工場」に』2007年10月23日 日経ビジネスオンライン
^ 『インド製造業が急成長 品質と生産性を日本から学び、クラスターで力を結集』2007年10月30日 日経ビジネスオンライン
^ 『「インド品質」からの脱却 ~インド自動車業界の現地レポート』2007年1月16日付配信 日経ビジネスオンライン
^ 『外資に揉まれ品質向上 世界の小型車供給拠点に』2007年12月17日号 日経ビジネス
^ a b c d e 『アウトソーシング大国、インドの岐路』2007年8月24日付配信 日経ビジネスオンライン
^ a b 『「ウォルマートは出ていけ!」インドで大規模小売り店に反対する最大級のデモ集会』2007年10月26日 日経ビジネスオンライン
^ 2007年3月1日付配信 フジサンケイビジネスアイ
^ a b 「インドは「農民vs工場」」『日経ビジネス』2008年9月15日号
^ http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=1380230
^ http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=516768
^ 外務省:インド
^ CIA – The World Factbook – India
^ ブリタニカ国際年鑑2007年版によれば、ヒンドゥー教徒73.72%、イスラム教徒11.96%、キリスト教徒6.08%、シク教徒2.16%、仏教徒0.71%、ジャイナ教徒0.40%、アイヤーヴァリ教徒0.12%、ゾロアスター教徒0.02%、その他1.44%
^ シヴァ神の聖牛ナンディンやヴィシュヌ神の化身ラーマに忠誠を尽くした猿神ハヌマーンへの信仰に起因する。
^ a b http://web.archive.org/web/20050901164835/http://www.censusindia.net/religiondata/statement.pdf
編集 関連項目
分野・時代別のインド人の一覧
世界四大文明
南アジア史
インド国定暦 - ヒンドゥー暦
インドの財閥
インドの数学
インド哲学
インド料理
マハトマ・ガンディー
カンパ・コーラ
インドの観光地の一覧
BRICs
インドの言語・インドの国語
インドの言語の話者数
日本語起源=クレオールタミル語説
南インド
インド人の名前
インド文化圏
NRI/PIO
カレー・バッシング
編集 外部リンク
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地域
イギリス : アクロティリおよびデケリア¹ | オーストラリア : クリスマス島 - ココス諸島 | 中華人民共和国 : 香港 - マカオ
「その他」は国家の承認を得る国が少ない、または無い国であり、国際連合非加盟。事実上独立した地域一覧も参照。
¹ ヨーロッパにも分類され得る。
² 一部はアフリカに含まれる。
表・話・編・歴
イギリス連邦加盟国
アンティグア・バーブーダ | イギリス | インド | ウガンダ | オーストラリア | ガイアナ | ガーナ | カナダ | カメルーン | ガンビア | キプロス | キリバス | グレナダ | ケニア | サモア | ザンビア | シエラレオネ | ジャマイカ | シンガポール | スリランカ | スワジランド | セーシェル | セントクリストファー・ネイビス | セントビンセント・グレナディーン | セントルシア | ソロモン諸島 | タンザニア | ツバル | ドミニカ国 | トリニダード・トバゴ | トンガ | ナイジェリア | ナウル | ナミビア | ニュージーランド | パキスタン | バヌアツ | バハマ | パプアニューギニア | バルバドス | バングラデシュ | フィジー | ブルネイ | ベリーズ | ボツワナ | マラウイ | マルタ | マレーシア | 南アフリカ | モザンビーク | モーリシャス | モルディブ | レソト | ルワンダ
表・話・編・歴
上海協力機構
原加盟国
中華人民共和国 | ロシア | カザフスタン | キルギス | タジキスタン | ウズベキスタン
オブザーバー
パキスタン | イラン | モンゴル | インド
表・話・編・歴
主要国首脳会議参加国
G8メンバー
アメリカ合衆国 | イギリス | イタリア | カナダ | ドイツ | 日本 | フランス | ロシア
+5
インド | ブラジル | 中華人民共和国 | 南アフリカ共和国 | メキシコ
国際機関
国際連合 | 欧州連合
Reuters
Provides breaking news, national, international, and financial news. Also provides latest information on stocks and share prices.
AOL India
Offers services such as email account, instant messaging, chat, music and videos, and other online features.
Mcdonalds India
Quick service restaurant. Includes restaurant locator. ... Copyright 2010 H.R.P.L. Terms & Conditions and Privacy Policy. Media Centre Corporate Offers Past Events ...
eBay India - Online Shopping Mall: Free Auctions, Shop/Buy ...
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