ポンペイに残された選挙の落書き。民衆の話し言葉、俗ラテン語で書かれており貴重な資料である。
俗ラテン語 (sermo vulgaris, セルモー・ウルガーリス) とはロマンス語の祖語である。俗ラテン語はローマ帝国内で話されていたが、その崩壊後、地方ごとに分化し現在のロマンス諸語になった。
古代ローマから現代にかけて使用されてきたラテン語は基本的に文献に残る文語(古典ラテン語)のことであるが、これに対し口語、つまり民衆の話し言葉があったことが文献に残されており、これを俗ラテン語という。ただし、「俗」という漢字は「野蛮な、劣った」という意味にとられがちであるため、「民衆ラテン語」 (Popular Latin) 、「ロマンス祖語」 (Proto-Romance) などの表現を主張する学者も多い。
なお、 sermo vulgaris とは「日常の言葉」の意味の古典ラテン語であり、下記の音韻の変化に従えば俗ラテン語では sermo volgare (セルモー・ヴォルガレ)となる。
目次
1 音韻
1.1 母音の変化
1.2 子音の変化
2 文法
2.1 格の消失
2.2 中性の消失
2.3 複合前置詞
2.4 副詞
3 参考文献
4 関連項目
5 外部リンク
編集 音韻
編集 母音の変化
音韻の変化
古典ラテン語
俗ラテン語
文字
発音
文字
発音
A
[a]
A
[a]
[aː]
E
[e]
E
[ɛ]
[eː]
[e]
I (J)
[i]
E
[e]
[iː]
I
[i]
[j]
I (J)
[ʤ]
O
[o]
O
[ɔ]
[oː]
[o]
V (U)
[u]
O
[o]
[uː]
V (U)
[u]
[w]
V
[v]
Y
[y]
I
[i]
[yː]
AE
[ae]
E
[ɛ]
OE
[oe]
[e]
AU
[au]
O
[o]
(発音記号についてはIPAを参照)
古典ラテン語には短母音 a, e, i, o, u, y、長母音 ā, ē, ī, ō, ū, ȳ、二重母音 ae, au, oe, ei, ui, eu がある。俗ラテン語では
母音の長短の消失
ā > a、ē > e、ī > i、ō > o、ū > u、ȳ > i
二重母音の単母音化
ae > e、oe > e、au > o
短母音の広音化
i > e、u > o;[e] > [ɛ]、[o] > [ɔ]
Y の平唇化
y > i、ȳ > i
が生じ、右表のようになった。
編集 子音の変化
h が発音されなくなる
v が [w] から [v] になる
[j] が [ʤ] になる
c が前舌母音の前で [ts] あるいは [ʧ] になる。後にスペイン語では [θ]、フランス語では [s] になる。イタリア語では [ʧ] のままである
g が前舌母音の前で [ʤ] になる。フランス語では [j] とともに単純化され [ʒ] に、スペイン語では [x] になった。イタリア語では [ʤ] のままである
語末の -s、-m が脱落する
編集 文法
編集 格の消失
下は第一変化名詞の rosa(バラ)に上記の音韻の変化を加えた仮想的な表であるが、単数では主格・対格・奪格と属格・与格が同形になっているのが分かる。名詞全体にこのような変化が起こったため次第に格語尾の区別がつかなくなり消失した。また区別が消失する過程で複数形はラ・スペツィア=リミニ線を基準に西の地方(イベリア・フランス)では対格、東(イタリア・ルーマニア)では主格で代表されるようになった。
rosa(バラ)
格
古典
俗
単数
主格
rosa
rosa
属格
rosae
rose
与格
rosae
rose
対格
rosam
rosa
奪格
rosā
rosa
複数
主格
rosae
rose
属格
rosārum
rosaro
与格
rosīs
rosis
対格
rosās
rosas
奪格
rosīs
rosis
編集 中性の消失
第二変化名詞が音韻の変化を被りもともと単数主格・複数主格・複数対格にしか違いのない -us 型と -um 型が混同され、 -um 型の大部分を占める中性名詞は男性名詞として扱われるようになった。また複数形で使われることの多い名詞は主格の -a が女性形と同じなので女性形として扱われるようになった。
第二変化名詞
格
古典 -us
古典 -um
俗
単数
主格
-us
-um
-o
属格
-ī
-ī
-i
与格
-ō
-ō
-o
対格
-um
-um
-o
奪格
-ō
-ō
-o
複数
主格
-ī
-a
-i
属格
-ōrum
-ōrum
-oro
与格
-īs
-īs
-is
対格
-ōs
-a
-os
奪格
-īs
-īs
-is
編集 複合前置詞
俗ラテン語では前置詞を二つ三つ合わせた複合前置詞が現れた。ロマンス語に受け継がれているものには下のようなものがある。 (F E P はそれぞれフランス語、スペイン語、ポルトガル語の意味とする。)
dondeE < de + unde
dansF < de + intus
dentroEP < de + intro
dèsF < de + ex
desdeEP < de + ex + de
depuisF / despuésE / depoisP < de + ex + post
dehorsF / de fueraE / de foraP < de + foris
編集 副詞
古典ラテン語では副詞を作るのに cārus(大事な) -> cārē や acer(鋭い)-> acriter のように -ē あるいは -iter をつけるが、俗ラテン語ではこの方法は失われ形容詞の女性形に mente をつけるようになった。この mente は、元は mens(心、女性名詞)の単数奪格で、形容詞+mente で「~な気持ちで」の意味であったのが心の意味が無くなったものである(例:vēlōx「速い」-> voloce mente「心が速く→急いで」)。この用法は紀元前1世紀のカトゥルスの文章に散見される。
Nunc jam illa non vult; tu, quoque, impotens, noli
Nec quae fugit sectare, nec miser vive,
Sed obstinata mente perfer, obdura.
(今はもう彼も、汝も思い慕うことはない。追おうとも悲しもうともするな。それでも固く(心固く)忍びよ)
– Catullus VIII
編集 参考文献
大西英文『はじめてのラテン語』(講談社〈講談社現代新書〉、1997年)
松平千秋・国原吉之助『新ラテン文法』(東洋出版、2000年)
田中秀央『LEXICON LATINO-JAPONICUM 羅和辞典』(研究社、1966年)
編集 関連項目
プローブス付表
編集 外部リンク
俗ラテン語の形態・統辞的特徴
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