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共産主義は通常、より平等な社会の実現を目指すために、私有財産制度の全部または一部を廃止し、財産や富を共有することを提唱する。共産主義は、多数の異なった政治理論に基づく多数の形態が考えられてきている。共産主義的思想の歴史は古く、キリスト教共産主義などの宗教における財産の共有や、空想的社会主義と呼ばれる潮流、フランス革命でのジャコバン派などもその思想の流れの一つとされる。 「共産主義」という言葉は、「共同の、共有の」の意味を持つ「ラテン語: communis」が語源で、「共産主義の先駆」と呼ばれるフランソワ・ノエル・バブーフが現在の意味で最初に使用し、それをジョン・グッドウィン・バーンビー[6]が英語に紹介した。 19世紀後半にカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスが共産主義思想を体系化すると、その集産主義的な「マルクス主義」が共産主義思想の最も有力な潮流となった。また十月革命の成功によるソビエト連邦の成立により、ウラジーミル・レーニンによる革命的な党の組織論などをマルクス主義に総合した「レーニン主義」が影響力を大きく高め、後に「マルクス・レーニン主義」として定式化された。更にレフ・トロツキーによるマルクス主義の概念である「トロツキズム」、毛沢東による当時の中国の状況に適合させたマルクス主義の解釈である「毛沢東主義」など、多数の派生や解釈が存在する[7] 。 ソ連崩壊以降は正統派マルクス主義の影響力は世界的に大きく低下したが、マルクス主義または非マルクス主義の、各種の共産主義の思想や運動が存在し続けている。 共産主義のシンボルとしては、社会主義と同様に赤色や赤旗が広く使用されている。また特に共産主義を表すシンボルとして赤い星や鎌と槌なども使用されているが、これらはロシア革命で赤軍などが使用したもので、レーニン主義やコミンテルンなどに関連して使われた場合が多い。 目次 1 思想 1.1 黎明期の共産主義思想 1.2 マルクス主義 1.3 無政府共産主義 1.4 キリスト教共産主義 2 歴史 2.1 空想的社会主義 2.2 共産主義者同盟 2.3 第一インターナショナル 2.4 社会民主主義の成長と挫折 2.5 ロシア革命の成功と世界革命支援 2.6 スターリン主義とトロツキー主義 2.7 社会主義国家陣営の成立 2.8 共産主義運動の多様化 2.9 ソ連型社会主義の崩壊と各国の動向 2.10 21世紀の共産主義 3 基本文献 4 脚注 5 参考文献 編集 思想 編集 黎明期の共産主義思想 共産主義という言葉の由来はラテン語で共有、共通、共同を意味する“communis”であり、歴史的に最も早い使用例はシルヴィ父子によって書かれた『理性の書』(1706年)である。しかし私有財産の否定による完全平等の実現という現在使われる文脈とほぼ同じ意味で「共産主義」という語を用いた最初の人物はフランソワ・ノエル・バブーフである。バブーフは後に「共産主義の先駆」と呼ばれ、また前衛分子による武装蜂起や階級独裁などの革命思想の概念の先駆者でもある。 その後、フランスにおいて社会主義や共産主義などの用語が広まった。19世紀のフランスにおける共産主義思想をドイツに紹介した人物はローレンツ・フォン・シュタインであった。カール・マルクスもシュタインの著作である『今日のフランスにおける社会主義と共産主義』(1842年)を読んだ。 編集 マルクス主義 詳細は「マルクス主義」を参照 マルクスとエンゲルスは、1847年6月に共産主義者同盟の綱領的文書として執筆した『共産党宣言(共産主義者宣言)』において、資本主義社会をブルジョワジー(資本家階級)とプロレタリアート(労働者階級)の階級対立によって特徴づけ、ブルジョワ的所有を廃止するためのプロレタリアートによる権力奪取を共産主義者の目的とした。この革命によって階級対立の解消、国家権力の止揚へと向かい、各人の自由な発展が、万人の自由な発展の条件となるような協同社会を形成することが共産主義の目標であるとした。 エンゲルスは、1880年に出版された『空想から科学へ』において、唯物史観と剰余価値説によって社会主義は科学となったとし、自らの立場を科学的社会主義と称した。共産主義社会の詳細な構想を語るのではなく、資本主義社会の科学的分析によって共産主義革命の歴史的必然性を示そうとするところにマルクス主義の大きな特徴がある。 とはいえ、マルクスやエンゲルスが共産主義社会のイメージを語った例もいくつか存在する。前述の『共産党宣言』のほか、1873年に出版された『資本論』第一巻の第二版には、「共同の生産手段で労働し自分たちのたくさんの個人的労働力を自分で意識して一つの社会的労働力として支出する自由な人々の結合体(Assoziation)」についての言及がある。社会的分業の一環としての労働が私的な労働として行われる商品生産社会を乗り越えた社会についての記述であり、事実上の共産主義論と見なされている。また、直接言及した箇所には第一版の「共産主義社会では、機械は、ブルジョワ社会とはまったく異なった躍動範囲をもつ」、第二版の「共産主義社会は社会的再生産に支障が出ないようあらかじめきちんとした計算がなされるだろう。」がある。1875年、マルクスは『ゴータ綱領批判』の中で共産主義社会を低い段階と高い段階に区別し、低い段階では「能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」、高い段階では「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」という基準が実現するという見解を述べた。 その後の歴史的展開により、マルクス主義には様々なバリエーションが存在する。マルクス・レーニン主義、トロツキズム、毛沢東主義などである。 編集 無政府共産主義 詳細は「en:Anarcho-communism」を参照 無政府共産主義は自由主義共産主義とも呼ばれ、国家や私的所有権や資本主義などの全廃を提唱し、生産手段の社会的所有[8][9]、自主的な組合や生産現場における労働者評議会による直接民主主義や水平的なネットワーク、「能力に応じて働き、必要に応じて与えられる」(en)との指導原理をベースとした消費、などに賛成する[10][11]。 ピョートル・クロポトキンや Murray Bookchin (en)などの無政府共産主義者は、そのような社会のメンバーは公的企業や相互扶助の利益を認識しているために必要な労働を自発的に達成すると信じた。[12]一方で、ネストル・マフノやリカルド・フロレス・マゴンなどは、無政府共産主義の社会では子供や老人、病人、弱者などを除いた全員は労働を義務とされるべきと確信していた[13][14][15][16]。クロポトキンは、真の無政府共産主義社会では怠惰またはサボタージュは大きな問題になると考えなかったが、自由に関連した無政府共産主義では、担当した仕事を実行するという共通の合意を満たさないままで離脱する事を認めた[17]。 編集 キリスト教共産主義 詳細は「キリスト教共産主義」を参照 キリスト教共産主義は、キリスト教を中心にした宗教的共産主義の形態の1つである。その理論的および政治的な理論は、イエス・キリストがキリスト教徒に理想的な社会体制としての共産主義を論じた、という視点をベースとしている。キリスト教共産主義者は彼らの教義の実践の起源を、新約聖書の使徒行伝の2章の以下の節などに求めている。 42 そして彼らは断固として使徒達の教義や団結を継続した ... 44 そして互いに信じ、全ての物を共有した。45 そして彼らの所有物や品物を売り、彼らは全員の一部となり、全員が必要となった。 – 欽定訳聖書 キリスト教共産主義は、キリスト教社会主義の急進的な形態と見ることもできる。また多くのキリスト教共産主義者は、過去に独立した、国家の無い共同体を形成したため、キリスト教共産主義とキリスト教無政府主義(en)の間には関連がある。キリスト教共産主義者には、マルクス主義の色々な潮流に、賛成する者、賛成しない者などがいる。キリスト教共産主義者はまた、資本主義を社会主義に置換え、更に将来には共産主義に移行する、などの点では、マルクス主義者と政治的な目標を共有する。しかしキリスト教共産主義者は、社会主義者または共産主義者の社会が組織されなければならないとするマルクス主義や特にレーニン主義に対してはしばしば賛同しない。 編集 歴史 編集 空想的社会主義 19世紀前半にはアンリ・ド・サン=シモン、シャルル・フーリエ、ロバート・オウエンといった思想家達が、ユートピア構想に基づく社会主義的理論と、共同体の運営実験を行った。ロッチデール先駆者協同組合やニュー・ラナークはその試みの例である。彼らの思想はマルクスやフリードリヒ・エンゲルスにも影響を与えた。エンゲルスは彼らの思想を「空想的社会主義」と特徴づけた。 編集 共産主義者同盟 共産党宣言 1834年、パリで君主主義に反対するドイツ人亡命者の秘密結社、追放者同盟(de:Bund der Geächteten)が結成された。1837年にカール・シャッパー、ヴィルヘルム・ヴァイトリングらが分裂し、正義者同盟を結成した。1838年に同盟では共産主義的綱領が採択され、最初の共産主義団体となった。やがて合法活動に転じたシャッパーと武装蜂起路線をとるヴァイトリングの対立が表面化し、同盟は分裂状態に陥った。 1846年2月にマルクスとエンゲルスはブリュッセルでブリュッセル共産主義通信委員会を結成した。マルクスらとシャッパー派は連携し、正義者同盟の再編を行った。1847年6月に正義者同盟は共産主義者同盟と改称し、再スタートを切った。シャッパーはマルクスとエンゲルスに綱領的文書の作成を依頼し、シャッパーの校閲を経た上で発表された。これが『共産党宣言(共産主義者宣言)』である。 編集 第一インターナショナル 詳細は「第一インターナショナル」を参照 1866年、ジュネーブで社会主義者の国際組織第一インターナショナルが初開催された。この組織の中でマルクスの理論は次第に影響力を強めていくが、ピエール・ジョゼフ・プルードンやミハイル・バクーニン等の無政府主義者と対立した。1872年にはマルクス派がバクーニンを除名し、第一インターナショナルは分裂した。 同じ頃ピョートル・クロポトキンは無政府主義の延長上にある無政府共産主義(en)を唱え、幸徳秋水を始めとする世界の思想家に影響を与えた。 編集 社会民主主義の成長と挫折 左からレフ・トロツキー、ウラジーミル・レーニン、レフ・カーメネフ ヨシフ・スターリン、ウラジーミル・レーニン、ミハイル・カリーニン(1919年) 1889年にはマルクス主義派が中心となって第二インターナショナルが設立された。中心的な役割を果たしたのはドイツ社会民主党であり、カール・カウツキーが同党の中心的理論家として活躍し、マルクス主義の権威も高まった。しかし同党では1890年代にプロレタリア独裁や暴力革命を否定するエドゥアルト・ベルンシュタインらによる修正マルクス主義とカウツキーらの論争(修正主義論争)が勃発した。後に修正主義の路線は社会民主主義の思想を生み出すことになる。 マルクス主義はゲオルギー・プレハーノフによってロシアにも持ち込まれ、ロシア社会民主労働党のイデオロギーとなった。ロシア社会民主労働党のウラジミール・レーニンは、ボリシェヴィキと呼ばれる分派を形成し、マルクス・レーニン主義と呼ばれる思想を形成しつつあった。彼の思想に対する有力な反論者がドイツ社会民主党のローザ・ルクセンブルクであり、激しい論争が起こっている。 しかし1914年に第一次世界大戦が始まると、加盟政党は国際主義的な戦争反対の主張を放棄してそれぞれ自国政府の戦争を支持し、第二インターナショナルはばらばらになった。戦争反対を貫いたのはボリシェヴィキのほかには、カウツキー、ベルンシュタイン、ルクセンブルクらが結成したドイツ独立社会民主党をはじめとするごく少数だった。 編集 ロシア革命の成功と世界革命支援 ボリシェヴィキは1917年10月にロシアで武装蜂起を成功させ(十月革命)、権力を獲得した。1918年には党名をロシア共産党に変更し、ドイツとブレスト=リトフスク条約を結んで第一次世界大戦から離脱した。土地の社会化や労働者統制などの政策を実施した。 一方ドイツでは、1918年11月12日に皇帝ヴィルヘルム2世が退位すると、独立社会民主党のカール・リープクネヒトによって社会主義共和国の成立が企てられたが、戦争中から和平に転じた社会民主党が機先を制し、社会民主党主導の政府が成立した。同年12月、独立社会民主党から分裂したルクセンブルクとリープクネヒトによってドイツ共産党が成立し、ドイツ革命を目指したが翌年1月に鎮圧された(スパルタクス団蜂起)。 ロシア共産党は1919年にコミンテルンを設立して世界各地の革命を支援した。この結果生まれたのがハンガリー・ソビエト共和国等であったが、大半が短期間のうちに消滅した(参照)。しかしコミンテルンの革命支援・共産党に対する指令の動きはその後も継続された。コミンテルン書記のカール・ラデックは、革命を起こすために各国の右派との連帯を目指すナショナル・ボルシェヴィズム(en)路線を提唱し、ルール占領に反対するストライキなどで右派政党との協調路線をとらせた。 ペルーではホセ・カルロス・マリアテギがペルー共産党を結成したが、彼の理論はコミンテルンに受け入れられず独自路線を歩むことになった。彼は原住民の復権を唱えたインディヘニスモ運動を起こし、センデロ・ルミノソやトゥパク・アマル革命運動などのラテンアメリカ各地の左派運動に影響を与えることになる。 編集 スターリン主義とトロツキー主義 内戦終結後の1922年にソビエト連邦[18]が成立した。1924年、ソ連でレーニンに代わって指導者となったスターリンは、マルクス、エンゲルスからレーニンへと受け継がれた世界革命の思想をソ連の現実に合わせる形で修正した(スターリニズム)。 マルクスやレーニンにとっては、共産主義革命とは世界革命であった。後進国の革命は先進国の革命と結びつくことによってのみ共産主義へ到達できるものとされていた。しかしスターリンは、1924年に発表された「十月革命とロシア共産主義者の戦術」の中で、ソ連一国だけでも社会主義を実現することが可能だとする一国社会主義論を主張した。そして、1936年のスターリン憲法制定時に、ソ連において社会主義は実現されたと宣言した。コミンテルンの指導部もスターリンの影響下に落ち、社会民主主義を「ファシズムの双生児」と定義した社会ファシズム論が主張されるようになった。 スターリンは農業集団化を強引に進め、農民の抵抗が激しくなると、スターリンは1930年に、「共産主義が実現するにつれて国家権力は死滅へと向かう」というマルクス以来の国家死滅論を事実上否定し、「共産主義へ向かえば向かうほどブルジョワジーの抵抗が激しくなるので国家権力を最大限に強化しなければならない」とした。 しかしコミンテルン支部である各国共産党による革命路線と社会民主主義勢力への攻撃は、各国での共産主義革命にはつながらず、結果的にはイタリアでのファシズムやドイツでのナチスの政権獲得を許したため、1935年にコミンテルンは左派の連帯をとる人民戦線戦術へと転換し、スペイン内戦で人民戦線政府を支援した。しかし1936年から1938年には大粛清がはじまり、共産党幹部を含めた数百万の人々が犠牲になった。コミンテルンの活動家も例外ではなく、ハンガリー革命の指導者クン・ベーラを始めとする多くの活動家が処刑された。 第二次世界大戦にあたっては、「労働者は祖国を持たない」という『共産党宣言』以来の国際主義を放棄し、ロシア人の愛国心に訴えかけて戦争を遂行した。ナチス・ドイツに勝利した後の1945年5月、赤軍指揮官を集めた祝宴の中でスターリンは、「私は、なによりもまずロシア民族の健康のために乾杯する。それは、ロシアの民族が、ソヴィエト連邦を構成するすべての民族のなかで、もっともすぐれた民族であるからである」と演説した。また連合国の警戒心を解くため、1943年にコミンテルンを解散した。 レフ・トロツキーと彼の支持者は、スターリンの一国社会主義論を強く批判し、ボリシェヴィキ内部で党内闘争を続けた末に敗れた。1929年にトロツキーはソビエト連邦から追放された。トロツキー派は変質したコミンテルンに変わる新しい国際組織として1938年に第四インターナショナルを創設した。 編集 社会主義国家陣営の成立 冷戦時の共産主義圏。赤はソビエト連邦及び親ソ派の共産党政権(衛星国含む)。黄色は中華人民共和国及び親中派の共産党政権(アルバニアと民主カンボジアのみ)。黒は中ソいずれにも属さない共産党政権(ユーゴスラビア、北朝鮮、ソマリアのみ)。 1945年の独ソ戦におけるソビエト連邦の勝利は、ソ連の影響下に置かれた社会主義国を多数生み出した。1947年、ソ連を含む東欧諸国の共産党はコミンフォルムを結成し、東側諸国を形成していくことになる。西側諸国との対立は深まり、冷戦が開始された。西側諸国の一部では共産主義者の追放(赤狩り)なども発生した。 1948年にはユーゴスラビア共産党が非同盟運動を提唱してコミンフォルムを脱退、ソ連・東欧諸国とは一線を画した。同時に独自の自主管理社会主義を打ち出し、ソ連型とは異なる分権的な経済システムの構築を始めた。だがユーゴスラビアの経済運営は同国を構成する各共和国や自治州の大きな経済格差や多数の失業などで、ソ連型にかわる有力な代案となるには至らなかった。1949年には中国共産党が国共内戦に勝利し、中華人民共和国を成立させた。1950年には朝鮮戦争が勃発し、冷戦期に多く見られる西側と東側の支援を受けた地域紛争の初例となった。 編集 共産主義運動の多様化 スターリンが死んだ3年後の1956年、ソ連共産党第一書記のニキータ・フルシチョフがスターリン批判を行ってスターリンの権威を失墜させ、世界中の共産党に大きな衝撃を与えた。ソ連はスターリン体制の改革に動きだし、各国の共産党も追随した。 一方、中国とアルバニアはスターリン死後のソ連の変化を、修正主義・社会帝国主義として激しく攻撃し、自らを反修正主義(en)として正当性を主張した。ソ連も毛沢東の個人独裁を非難して、両国は厳しく対立することになった(中ソ対立)。ソ連の指導から離れた中国共産党は毛沢東の指導下で毛沢東思想を形成していくことになる。中ソ対立は世界中のコミンテルン直系の共産党に分断をもたらし、新左翼の間にも信奉者を生んだ。国家の政権を握った例では、アルバニア労働党とクメール・ルージュが中国側についた(日本では日本共産党 (左派)や一部の新左翼 (日本)など)。毛沢東の指導下の中国共産党は、事実上、国際的な共産主義潮流の分断を再びもたらした。毛沢東死後の中国では鄧小平が実践する鄧小平理論の下で社会主義市場経済が導入されたが、中国が資本主義を導入して反修正主義的な毛沢東主義が顧みられなくなった1980年代以降も、ペルーやインド、ネパールなどで毛沢東主義を掲げる共産党によって武装闘争が繰り広げられた。 しかし同年、ハンガリー動乱においてソ連率いるワルシャワ条約機構軍が民衆の蜂起を弾圧したことは、各国でソ連に対する失望を産むことになった。欧米や日本では新左翼(ニューレフト)と呼ばれる潮流が発生し、トロツキズムも影響力を拡大した。 1959年にキューバ革命が成功すると、ラテンアメリカ、アフリカ、中東におけるソ連派と西側派の抗争が高まった。これらは「代理戦争」とも呼ばれる。ベトナム戦争やコンゴ動乱、アンゴラ内戦、オガデン戦争などきわめて長期間に及ぶ大規模な紛争も発生した。ラテンアメリカでは、マリアテギやチェ・ゲバラ、毛沢東思想等の多様な影響を受けた左派がゲリラを形成した。 1968年にはチェコスロバキアの改革の動き「プラハの春」が始まったが、再びワルシャワ条約機構軍によって鎮圧された。この事件はさらにソ連への失望を産むことになり、西欧の共産党はソ連型社会主義とは一線を画した、所謂「ユーロコミュニズム」と呼ばれる、市場経済や、個人の自由や民主主義を前提とした共産主義を目指して行く。その中心はイタリア共産党であったが、日本共産党も「自由と民主主義の宣言」によって、市民的自由や政権交代を含む多党制の擁護を明確にし、日本型社会主義のビジョンを提起する(ユーロコミュニズムと基本的には同様の傾向をもつが、非同盟と平和主義を正面に押し出した点が異なる)。 1977年頃、アルバニアのエンヴェル・ホッジャはアメリカと接近した中国とも訣別し、アルバニア派(en)と呼ばれる独自のスターリン主義派(ホッジャ主義)を形成した。この潮流は、自分自身をスターリンの遺産の厳格な防衛者と定め、他の全ての共産主義集団を修正主義と激しく批判した。エンヴェル・ホッジャは、アメリカ合衆国、ソビエト連邦、中国を批判し、ソビエト連邦と中国は社会帝国主義であると宣言し、1968年にワルシャワ条約機構がチェコスロバキアに軍事侵攻したプラハの春を非難した。ホッジャは1978年の中国との決裂後、アルバニアは世界で唯一のマルクス・レーニン主義国家となると宣言した。アルバニアは コロンビアの人民解放軍(en)やブラジル共産党(PCdoB)など主にラテンアメリカで毛沢東主義の大きなシェアを獲得し、更に多くの国際的な賛同者を産んだ(en:Party of Labour of Albania#External following を参照、日本では一時の日本共産党 (左派)など)。この傾向は後に「ホッジャ主義」と呼ばれた。アルバニアで共産主義者の政権が倒れた後、親アルバニア政党は国際会議の International Conference of Marxist-Leninist Parties and Organizations (en)に参加した。 編集 ソ連型社会主義の崩壊と各国の動向 現在の共産主義圏 「社会主義国」も参照 ソ連や東欧の共産党政権は、1989年以降に次々と崩壊し、ソ連も1991年に解体した。理由には経済の停滞と、衛星放送の普及などで国民が西側の豊かな生活を知ってしまった事がある。経済停滞の原因には、一党独裁・中央集権による官僚主義や非効率、西側の封じ込め政策である禁輸や軍拡競争などがある。 中国共産党は、毛沢東が主導した大躍進政策や文化大革命によって、人的、物的に多大な損失を経験した後、1970年代後半から鄧小平の指導で改革開放を進め、社会主義市場経済を標榜した。これは、一言で言えば資本主義と社会主義の混合経済であり(実質上は官僚資本主義)、ソ連のネップやアジアNIES諸国のやり方を参考にしている。「発達した資本主義経済が社会主義経済へ移行する」というマルクス主義の経済発展段階の学説に基づき、市場原理の導入によって経済を発展させ、それを基に社会主義社会を通して共産主義社会を目指すとしており、現在は資本主義社会から社会主義社会への過渡期であると主張している。 ベトナム社会主義共和国は、ベトナム戦争においてはアメリカ合衆国を中心とする西側諸国と実際に砲火を交えたものの、その後はカンボジア内戦での親ベトナム政権への対勢力であるクメール・ルージュ(ポル・ポト派)を中国が支援した事や、さらにはこれを巡って越中戦争が勃発した事などから、以降は急速に西側へと接近する。1986年にはドイモイを掲げて市場経済を部分的に導入し、以降他の社会主義国が急速に衰えていく中、逆に高い経済成長率を長年にわたって維持した。ただ、1990年代後半以降、その急激な経済成長が祟って慢性的な電力不足に陥っている。ソ連崩壊後はアメリカや日本など西側先進国との関係を更に深め、社会主義体制であるにもかかわらず、これら西側諸国と良好な状態を保っている。またベトナムは個人に権力が集約されておらず、民主主義の三権分立とは異なる様式であるが、権力の相互監視体制が敷かれているのも特徴である。 北朝鮮は独自のチュチェ思想を標榜し、ソ連・東欧の崩壊に伴う交易環境の悪化にもかかわらず体制を維持したが、経済は破綻、深刻な飢餓によって数百万の死者を出したといわれる。なお、2009年に制定された憲法ではそれまで含まれていた「共産主義」という単語が削除されている。 冷戦終結後に最大の援助国ソ連を失ったキューバは米国の経済封鎖下で深刻な経済危機に直面したが、都市部での有機農法での食料増産や省エネルギー政策で持ち直した。国民には民主化が不十分な事への不満は多いが、無料の教育や医療や、他のラテンアメリカ諸国への医療援助などで一定の支持を得ている。最近ではベネズエラなどのラテンアメリカ諸国との経済交流が進んでいる。 西側諸国では、冷戦期は社会主義に対する脅威もあり、労働法制の強化や、社会保障を充実させるなど、労働者の権利を認めざるを得なかったが、1980年代以降経済的な規制を緩め市場原理主義を推進する新保守主義(新自由主義)が台頭し、再び資本主義国の労働者が過酷な境遇に追い立てられている。新自由主義の影響が強いのは先進国の中ではアメリカ合衆国や英国、ニュージーランド、日本などである。またIMFの介入により韓国、中南米諸国など中進国に導入された新自由主義は、先進国以上に深刻な貧困と社会的な分断を生み出した。 さらに鄧小平による改革開放路線採用以降、社会主義市場経済を標榜する中華人民共和国においても、民工などの過酷な労働者の搾取が存在する。 なお北欧を中心としたヨーロッパ大陸諸国では、社会主義の一潮流である社会民主主義が根付いているが、グローバリゼーションの中で多国籍企業への規制と社会への統合は様々な困難を抱えている。 編集 21世紀の共産主義 新自由主義を導入した諸国では市場原理主義を推進し、国家による市場への関与が縮小された結果、少数の富者(巨額の報酬を受ける経営者、投機中心の投資ファンドなど)と大多数の貧者(グローバリゼーションの中で容易には国を変えられない労働者、特に単純作業に従事する低賃金の非正規労働者)という構造ができ、経済基盤が脆弱になった。その結果、2007年以降の世界同時不況で経済に深刻なダメージを受け、特に日本では解雇しやすい非正規労働者を中心に失業者が大量に生み出された。劣悪な環境と低賃金に耐えながらも労働していた非正規労働者たちは一斉に解雇され、職を失った。こうしたことにより、共産主義者だけでなく、様々な立場の人々から新自由主義の破綻が唱えられるようになっている。 旧ソ連・東側諸国の旧共産圏は、競争力の低い従来の国営・公営企業が崩壊し、その後の経済の混乱に乗じて進出した西側の外国資本に企業が買収されるなどした。また質が低いとはいえ原則無料の住居・医療・教育などが縮小・消滅したうえ、混乱期に国民の無知につけこんだ投機詐欺やネズミ講で資産を失うケースも多く、政権やマフィアと結託した新興財閥が経済を支配するようになった。そのため、「資本主義になれば必ずしも豊かになれる訳では無い」「生活が安定せず貧困から抜け出せない」「西側から二等国扱いされている」などの現実に国民が直面し、共産党やその後継政党が一定の勢力を保っている。 一方、共産主義を標榜する中華人民共和国では一党支配を温存しながら大胆な市場経済の導入を進め、社会保障を充実させないまま国営企業から労働者を大量に解雇した。さらに、中国共産党は本来の共産主義イデオロギーと相容れないはずの資本家の入党を認めており、雑多な階級を含んだ政党に変質している。中国では労働法制が十分に整備されておらず、労働運動や言論の自由も制限されているため、労働者はしばしば資本家に資本主義国よりも露骨な形で搾取されている。 こうした背景より、21世紀を迎えた今日、共産主義革命の機が熟しつつあると主張する共産主義者も存在する。またソ連やかつての中国とは別の形の、新しい共産主義(社会主義)も模索されている。 なお、ラテンアメリカ諸国では1990年代末以降、貧困層を主な支持層とした、共産主義を含む左派勢力の台頭が著しい。特に急進的なのは1999年に大統領に当選したベネズエラのウーゴ・チャベス大統領の率いる「ボリーバル革命」と称する社会運動である。チャベスらは「21世紀の社会主義」(en:Socialism of the 21st century)を標榜し、それに基づいた国づくりを行っている。だが、原則的マルクス主義者からみれば、「21世紀の社会主義」は、私的所有の廃止などの革命的綱領を欠いた、単なるポピュリズムにすぎないという評価もあり、ベネズエラ共産党はチャベス政権の与党ではあるが、チャベス率いるベネズエラ統一社会党への参加を拒否するなど、一定の距離を置いている。 編集 基本文献 『共産党宣言』 『空想から科学への社会主義の発展』 『資本論』 『ゴータ綱領批判』 『ドイツ・イデオロギー』 編集 脚注 ヘルプ ^ communism - oxford dictionaries ^ communism - dictionary.com ^ communism - The free dictionary.com ^ 広辞苑(第六版)「私有財産制を否定して共有財産制を実現することで貧富の差をなくすことをめざす思想・運動。」 ^ レーニン『国家と革命』 ^ John Goodwyn Barmby ^ Holmes 2009. p. 01. ^ (1999) From Politics Past to Politics Future: An Integrated Analysis of Current and Emergent Paradigms Alan James Mayne Published 1999 Greenwood Publishing Group 316 pages ISBN 0-275-96151-6. 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Chaz Bufe and Mitchell Cowen Verter (ed.) 2005. pgs. 139,141 & 144 ^ Kropotkin, Peter en:The Conquest of Bread, Ch. 12, Objections, first published 1892, also at [1] ^ 正式な表記「Советский Союз」は日本語では「ソビエト連邦」と訳されるが、「сoюз」は「同盟」という意味を持つ。詳しくはソビエト連邦#国名を参照 編集 参考文献 ウィキメディア・コモンズには、共産主義に関連するマルチメディアがあります。 ウィクショナリーに共産主義の項目があります。 高増明・松井暁編『アナリティカル・マルキシズム』ナカニシヤ書店、1999年 ジョン・E・ローマー『これからの社会主義』伊藤誠訳、青木書店、1997年 的場昭弘・内田弘・石塚正英・柴田隆行編『新マルクス学事典』弘文堂、2000年 篠原敏昭・石塚正英編『共産党宣言――解釈の革新』(御茶の水書房、1998年) 植村邦彦『マルクスを読む』青土社、2001年 山川出版社『詳説 世界史(新版)』1984年 表・話・編・歴 政治思想 自由主義 古典的自由主義 - 個人主義 - アナキズム(個人主義的無政府主義) - 社会自由主義 - 新自由主義 - リバタリアニズム 民主主義 直接民主主義 - 間接民主主義 - 自由民主主義 - 社会民主主義 - キリスト教民主主義 - ブルジョア民主主義 - プロレタリア民主主義 - 人民民主主義 資本主義 レッセフェール - 修正資本主義 - 国家資本主義 - 国家独占資本主義 - 超資本主義 - 無政府資本主義 社会主義 空想的社会主義 - 宗教的社会主義 - 社会民主主義 - 民主社会主義 - 共産主義 - アナキズム(社会的無政府主義) - サンディカリスム - 国家社会主義 - 自主管理社会主義 - アラブ社会主義 - 市場社会主義 権威主義 独裁主義 - 専制主義 - 絶対主義 - ファシズム - ナチズム - 全体主義 - 軍国主義 集団主義 国家主義 - 地域主義 - ナショナリズム - 民族主義 - 共同体主義 - コーポラティズム - 集産主義 - 統合主義 - イスラム主義(イスラム原理主義) - キリスト教原理主義 環境主義 みどりの政治 - 緑の保守主義 政治的スペクトル 革新 社会改良主義 - 進歩主義 - 急進主義 - 左翼 - 極左 中道 中道左派 - 中道右派 保守 社会保守主義 - 緑の保守主義 - 国民保守主義 - 新保守主義 - 右翼 - 極右 その他 第三の道 - 政治的シンクレティズム 統治体制 支配者の種類 君主制 - 貴族制 - 神権政治 - 共和主義 権力者の特徴 寡頭制 - メリトクラシー - ポリアーキー 国家様態 単一国家 - 連邦制 - 国家連合 - 国際主義 - スープラナショナリズム - コスモポリタニズム その他 啓蒙思想 - 混合経済 - 現実主義 - ポピュリズム - 教条主義 - 原理主義 - フェミニズム - 多元主義 - 結果責任 Portal:政治学 - 政治思想の一覧 - 政治思想で分類した政党の一覧



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共産主義者同盟 - VisWiki

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were
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【歷史上的今天】四月五日蔣介石先生逝世 - 歷史上的今天 -新唐人電視台

蔣介石最早認清共産主義和共產黨,最早指出"共産革命不適於中國,它是以恨爲動機的革命,決不適於中國的民族性,因爲動機既然是恨,行動一定是殘酷和卑污,而且要損人利己 ... 但蔣公始終不爲蘇俄所誘、所惑,對"共産主義"有著極其精到的認識。 蔣公認爲:"馬克思主義乃是法國革命中的一種反革命的運動,亦就是歐美 民主 ...




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孫文廣:應該修憲除去馬列毛鄧 - 評論 -新唐人電視台

共産主義運動,包括它發動的戰爭和建立的極權統治,是迄今爲止一百多年來,人類社會持續時間最長的大灾難,是這段歷史時期耗費人類資源最大、破壞人類文明最深刻、阻礙人類社會進步最嚴重的 ... 這個現象也可以說明,以「馬列主義」作爲思想理論基礎的共産主義運動大潮已經過去,以「馬列主義」爲指導的共産黨一黨專政統治已經進入窮途末路。 ...



Ferrat Aragon
http://yeats1103.pixnet.net/blog/post/6935332

YouTube - 共産主義者の大東亜戦争責任(1/3)

1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大)、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進...



Gerasimenko Vitaly Valeriyevich Chous
http://rakadia.multiply.com/journal/item/34/34

共産党宣言 - VisWiki

共産党宣言(共産主義者宣言)(きょうさんとうせんげん ドイツ語:* Manifest der Kommunistischen Partei / Das ... 的にはカール・シャッパー)から依頼を受け、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスによって執筆された"共産主義者同盟"のための綱領文書。 ...



Bulochnikov Evgeny Vyacheslavovich Chorus
http://rakadia.multiply.com/journal/item/34/34

Qwika - History of communism

共産党の確信そして練習を示すのにまた言葉"共産主義" が使用されている のそれを含んで ソビエト連邦 大幅に異なったかどれがマルクス及びEngels の概念と。 それは社会主義からの声明の多くの評論家共産主義への転移のこの概念である、 特にソビエト時代の間にそして後で、 降りた。 ...



Zakirov Radik Ravilevich Chorus
http://rakadia.multiply.com/journal/item/34/34

趙紫陽在1989年的思想飛躍/冯崇义

經過共産主義左翼思維這一套詭辯術的浸淫和洗腦,就會帶來不同程度的腦殘,而無法進行正常思維和處理信息,就象中了病毒的電腦操作系統一樣。 ... 因爲自由民主對專制特權的挑戰,共産主義黨國統治所造就的權貴利益,本就足以使黨國權貴集團墮落爲排斥自由民主的腐朽頑固群體。 党國要人要實現從專制主義者向民主主義和自由主義的偉大轉變, ...



Kryuchkov Ivan Andreyevich Orchestra
http://rakadia.multiply.com/journal/item/35/35

Qwika - Comintern

Lenin の助言の後、 ロシア人 Bolsheviks、 一流の"共産主義者" を採用したかだれが、 社会主義国際から公式に裂かれ、第3 国際創設される- Comintern 。 Comintern の中央方針は国際を助けるために共産党が世界を渡って確立されるべきであることだった proletarian 回転。 ...



Nasibulin Zhafyar Alberovich Chorus
http://rakadia.multiply.com/journal/item/34/34